一年半前に脳腫瘍が見つかってから、死というものが、いずれ自分自身に実際に起こるものとして認識されるようになりました。
それまでももちろん、「人はいずれ死ぬ」ということを、頭で観念的には理解していました。でも、それを自分に引き寄せて、自分の身に実際に起こることとして捉えることはありませんでした。
高校時代に父が舌がんで亡くなり、9年前に妹が乳がんで亡くなった際にも、同じ死というものがいずれ自分自身にも訪れるということを、明確に認識することはありませんでした。
「人はいずれ死ぬ」というのは、当たり前のことのように思えます。でも、自分が病気になるまでは、「自分」が「いずれ死ぬ」ということを分かっていませんでした。家族の死も、あくまで自分ではない家族に起こったこととして捉えられていたように思います。
でも、自分の頭に脳腫瘍が見つかり、主治医から「グリオーマという悪性の脳腫瘍ですね。グレードは3〜4です」と告げられたとき、目の前に忽然と「死」というものが姿を表しました。明確な輪郭と質感を持って。
自分は数年で死ぬかもしれない、と思いました。
その頃は、街を歩いているときにも、「昔よく来たこのお刺身のおいしいお店、娘がもう少し大きくなったら三人で来られるかな」と思った直後に、「でもその頃にはもう自分はこの世にいないかも知れない」と思ったりしました。
岐阜の病院に検査旅行に行ったときは、「家族三人で旅行するのも、これで最後かもしれない」と思いました。
▼家族3人で岐阜に検査旅行(経緯4)
その後、入院し、手術を受けました。手術の直後のICUで、主治医から「腫瘍はほぼ取りきれましたよ。術中の簡易的な病理検査では、グレードは3でした」と言われたとき、やっと、「5年以上生きられるかもしれない」と思いました。目の前に突然現われた死を、5年先に押しやりました。
▼手術で脳腫瘍を摘出(経緯11)
手術の2週間後、主治医の先生から、手術と病理検査の結果の説明がありました。改めて主治医の先生から、腫瘍の摘出率は98%だったこと、病理検査の結果、グレードは3で確定したことを聞きました。その後、先生はこうおっしゃいました。
このグリオーマという病気とは長く付き合っていかなければならない。でも、患者さん自身が、再発のことばかり恐れていてはよくない。患者さんには、5年後、10年後の希望を持って生活していってもらいたい。再発等のリスクは、自分たち主治医がきっちりケアしていきますから。
(中略)
一年後、三年後を見据えた治療の積み重ねの先に未来がある。高山さんはまだ40歳。40年後まで考えていかないといけないですからね。
▼病理検査の結果/脳腫瘍と付き合う心構え/MRI画像で見る穴の空いた脳(経緯18)
この先生のお話を聞いて、「自分は40年後の人生のことを考えてもいいんだ」と思いました。それを先生から認めていただいたように感じました。脳腫瘍が見つかったときに決めた、「19年後に娘が成人した時に、娘と奧さんと一緒にお酒で乾杯する」という人生の目標に、先生からお墨付きをもらえたようにも感じました。その先生の言葉で、自分の死を、19年後に追いやりました。
その後、再発予防のための放射線治療を数週間、抗がん剤治療を数ヶ月やりました。ひと通りの治療は、昨年8月に終わりました。治療中の体調にも問題なく、当初計画したひと通りの治療を、当初計画したスケジュール通りに、無事に終えることができました。これでまた少し、死を遠くへ追いやりました。
抗がん剤治療が終わる直前の昨年7月には、手術から丸一年が経過しました。再発もなく、最初のマイルストーンである一年をクリアすることができ、このときも少し死を遠くに押しやったと感じました。
▼手術からちょうど一年が経過/免疫力と風邪と再発リスク
現在、手術から1年7ヶ月が経過しています。今でも、常に再発のリスクを頭の隅に置きながら生活しています。脳腫瘍を含め、がんは治療から5年間再発がなければ、それ以降も再発の可能性は低い、と言われています。またその手前の3年間も要注意、と言われています。その大きなマイルストーンである5年、その手前の3年に向け、一日一日、免疫力を落とさず、再発させずに生きていきたい、と思っています。少しずつ少しずつ、死を遠くに押しやりながら。
でも、知り合いの死に接すると、一気に、死の輪郭は明瞭になります。
患者仲間だったUさんの死は、同じグリオーマだったこと、同じ女子医大で治療を受けていたこと、自分より若かったことなどから、非常に辛いものでした。グリオーマで死ぬということのリアリティが増しました。
▼患者仲間の死
そして昨日、飯野賢治さんが亡くなったというニュースが流れました。
▼朝日新聞デジタル:ゲームクリエーター飯野賢治さん死去 「Dの食卓」作者 – おくやみ
飯野さんとは、以前、イベントで何度かご一緒させていただき、その後Twitter等でもやり取りさせていただくようになりました。
その後、僕が入院・退院を経てこのブログに病気のことを書き始めた頃には、飯野さんはブログを読んでくださり、Google+でいろいろやり取りさせていただきました。病気のこと、入院生活のこと、脳機能のこと、自由意志など、飯野さん自身の入院、闘病体験を含めて、いろいろお話しさせていただきました。
その飯野さんが亡くなりました。本当に驚きました。そして、自分にとっての死の輪郭が、またはっきりしたように感じました。
先日、知り合いのグリオーマ患者さんから、Facebookでいただいたメールに、こんな内容がありました。
恋人が会話の中で何気なく口にした「50歳になったときには・・・」という言葉が自分の中でひっかかっている。以前は普通に20年後、30年後の話をできたのに、今は「自分はその頃生きているのだろうか」と考えてしまい、不安や悲しみから泣いてしまう
この気持は非常によく分かります。
僕自身、最近も日常の会話の中で、友人が「人生70年だとして・・・」と言ったり、社員が「40歳になって、人生80年の半分が過ぎました」と言ったりするのを聞いて、「ああ、普通はそう考えるんだよなあ」となんとも言えない気持ちになることがありました。
病気が見つかる前の自分も、彼らと同じでした。自分の視界の中に、自分の死は入っていませんでした。30年後、40年後の人生にも、死は全く見えていませんでした。
でも病気を経験して変わりました。いつも、自分の視界の中に、自分の死が明確に捉えられています。病気とともに突然目の前に現われた自分の死を、その後の治療等を経て、少しずつ向こうに押しやってきました。その結果、今では18年後よりもっと先にあります。それでもはっきりした輪郭を伴って見えているように感じています。以前のように、死が視界から外れるということはありません。
遠くで、小さくだけれども、自分の死ははっきり見えています。それが、自分の病状や、身近な人の死などにより、遠くに行ったり近寄ってきたり、輪郭がぼやけたりはっきりしたりしています。
でも、自分の人生の先に死があると認識しているからこそ、つまり人生は有限だと頭ではなく身体で理解したからこそ、いま、一日一日を大切に過ごすことができているように思います。本当に大切なこと、つまり家族との時間や自分の健康などを優先することができている気がします。
「人生70年」の話が出たとき、その友人が僕に聞きました。「いま、自分の人生で最も優先していることはなに?」
僕はこう答えました。
「死なないこと。病気を再発させずに生きていくこと。」
病気が見つかり、目の前に「自分の死」のイメージが突如として輪郭と質感を伴って現われたとき、自分がやりたかったことや自分が立ち上げた会社のことは全て手放してもいいから、とにかく、娘が成人する姿だけはこの目で見たい、と思いました。それができれば、後は何もいらない、と心から思いました。
自分の残りの人生の唯一にして最大の目標は、「娘の20歳の誕生日のお祝いに、娘と奧さんと一緒にお酒で乾杯する」となりました。今の自分の生活や仕事は、全てその目標につながっています。
これからも一日一日を大切に生きていきます。
初めまして。
ウチのお袋(73歳)は去年の8月、左前頭葉にグリオーマ(グレード4)が発見されました。たまたま高山さんのブログを知り、それ以来、時々拝見させてもらっています。
お袋は、去年の11月に退院。退院10日後に爆弾がまた動き出し再入院。再入院してから右腕の動きが鈍くなっていったのと、会話ができなかったのですが、今週に入ってから右手も動き出し、会話もできる様になってきました。
ネガティブな事は考えず、是非ポジティブに!
どうせなら、孫のことも考えましょうよ。
ただ、くれぐれも無理はしないで下さい。
なるべく余計な負担を減らし、お身体をご自愛ください。長文失礼しました。
野村さん、コメントありがとうございました。
またブログを読んでくださっているようでありがとうございます。
お母様がグリオーマなんですね。脳の機能も回復が見られるようで、よかったですね。
私も無理せず進んでいこうと思います。
ご無沙汰しております。昨年は女子医大でセカンドオピニオンを受ける際に、色々ご相談にのっていただきありがとうございました。
今回の高山さんのブログを読んで、お元気そうで良かったと安心するとともに、とても考えさせられました。
Uさんがお亡くなりになった事もすごくショックでした。ご本人はもちろんですが残されたご家族の事を考えるととても辛く悲しいです。
主人の腫瘍は放射線と化学療法の効果で小さくなりホッとしてたのですが、昨年12月のMRIで別の場所に気になる所があると言われました。
2か月毎にしていたMRIを早め1か月後に再検した所、腫瘍が急激に大きくなっており再発、治療は難しいと言われました。本人には告知してないのですが家族にはかなりシビアな説明がありました。
11月に女子医大でセカンドオピニオンを受けた時に「おやっと思った時が肝心だ」と言われていたのですが、腫瘍が大きくなるのが早すぎて主治医も想定外だったようです。
その後インターフェロンの点滴をテモダールと併用するかたちで3回しました。(免疫療法)
明日25日にMRIをとります。
前向きに考えないとと思うのですが“もしさらに大きくなってたら…”と考えてしまい、怖くて不安でたまりません。
こんな事を高山さんにお伝えしてはいけなかったですよね。ごめんなさい。弱気になってしまいました。
でも元気に過ごされている高山さんは本当に私の希望でもあるんです。多くの患者さんが高山さんのブログをみて勇気をもらっています。
これからもお体を大切になさって下さいね。
はるはるさん、コメントありがとうございました。
久しぶりにご連絡をいただきうれしいです。
ご主人の病状、そして明日のMRI、本当に心配なことと思います。前向きに考えられない気持ち、弱気になる気持ち、不安な気持ち、本当によく分かります。
何か僕で力になれることがありましたら、いつでも遠慮無くメールいただければと思います。ご主人と同じ病気の患者として、はるはるさんの不安に耳を傾けることくらいはできますから。
メールでも返信いただきありがとうございました。
主人自体の体調はいいので、もしかして先日のインターフェロンが効いてるかも…と希望はもっています。
ただ今は自宅療養という形で仕事にも行ってないので(通勤途中に痙攣をおこす恐れがある為)、口にはあまりださないものの主人も色々考え、感じているだろうと思うと辛いです。
これから病院に行ってきます。
私も希望をもって主人の支えになれるように頑張ります。
またメールさせてくださいね。
はるはるさん、ご返事ありがとうございました。
今日のMRIが少しでもよい結果であること、そして治療が奏功することをお祈りしています。
ご主人はもちろん、はるはるさんも本当に辛く大変なことと思います。
またいつでもメールやコメントくださいね。
この問題はコメントするのがとても難しいです。最初に拝見してから「コメントしようかな、どうしようかな」と考えておりました。おそらく何回かメールを交わした高山さんは私の真意を理解してもらえるでしょうが、最近コメントが多いと伺っていたので、誤解されてもと案じたのです。
私はがんにかかるまで普通の生活を送っておりました。自分が死ぬことなんて本気で考えたこともありませんし、本や映画が好きなのでその中でたくさんの死を見ておりながらいつも他人事でした。その私が突然がん(しかもステージIV)を宣告され、突然の入院生活。そして抗がん剤の辛さにも耐えました。
でも今振り返ってみて、あの時の「なにくそっ、がんに負けてたまるか、生き抜いてやる!」という病院での決意は間違っていたのではないかと考えてもいるのです。いえいえ、死を肯定しているのでもなく、がんに立ち向かう人には素直に尊敬してもいるのです。ただ、がんってそんなに決意をしてまで戦わないといけないような病気だろうかと考えているのです。
人間は死にます。これは王様でも億万長者でも逃れることはできません。どんなに嫌でもいつかは死ななければいけないのです。それは生まれた時から決められた定めなのです。医学が進んで寿命が延び、難病も何とか治療して死ぬまでの時間をかせぐことができるようになりました。でも、最近の医学の進歩は人間から死への実感を遠ざけてしまったようにも思うのです。(もちろんこれには核家族化で家に老人がいないことも影響しているでしょう)
本当にただ長く生きることが素晴らしいことなのでしょうか?がんの治療をしている時に私は大きな疑問を感じていました。抗がん剤はとても辛い治療でした。当時は付き添う家族にはいかにも前向きに治療を受けているように見せていましたが、私は人格までも変えてしまうような治療はもう受けたくないと思っています。万が一再発や転移が見つかった場合には、できれば緩和治療を選択したいと考えています。
これは既に子供たちが就職してしまった責任の無さから来ているのかも知れません。また再発せずに6年間を過ごしたからもう大丈夫と思って気軽に発言しているのかも知れません。でも、がんを深刻に考え悩むことが、あまりにも重すぎるとも感じるのですよ。刹那的でなく「どうせ死ぬんだよ、それなら生きている今を充実させてみよう」と考える方が良いと思うのです。最善の治療を受けるためにいろいろな情報を得ようとすることは良いことかもしれませんが、それは望んでも全ての人が受けられるものでもありません。高山さんのように運が自分に吸い寄せられるような方は良いですが、それ以外の人でも充実した生をまっとうすることはできます。
抗がん剤も手術も、辛さや苦しさをともないます。また少ないですが危険もあります。それらのリスクを全部伝えて、それでも選択する人だけが治療をすれば良いと思うのですよ、私はね。
まとまりませんが、高山さんなら理解して頂けると思います。でも、そういうリスクや治療の辛さについては西洋医学の側の人は誰も行ってくれないのですよ。だから奇妙な宗教や民間治療がもてはやされるのかも知れません。
こうちゃん361さん、難しいテーマにコメントくださってありがとうございます。
「本当にただ長く生きることが素晴らしいことなのでしょうか?」というご意見は、分かる気がしています。
今回改めて、父や妹の余命告知を病院で受けたときのことをそれぞれ思い出しました。その時は、とにかく家族が死ぬなんて考えられず、医師にも「とにかく何とかしてください、少しでも可能性があるならば、最善の治療を続けてください」とお願いしました。2回とも、本人には余命告知はしませんでした。
自分が病気を経験し、自分もいずれ死ぬことを認識した今、同じ状況になったら、違うことを考え、違うことをするような気がします。まさにこうちゃん361さんの言う通り、「どうせ死ぬんだよ、それなら生きている今を充実させてみよう」というように考えるかも知れません。
以前は、とにかく死を認めたくないというか、徹底的に忌避してきました。それが少し変わったように思います。自分もいずれ死ぬということが明確に認識されたことで。「どうせ死ぬんだよ、それなら生きている今を充実させてみよう」という考え方は、以前は全く理解できなかったと思いますが、今では理解できる気がします。
と言いつつも、改めて自分の状況を振り返ると、やっぱり娘の成長を見届けずに死ぬわけにはいかない、という思いは非常に強く、何よりも強い欲求、希望として自分の中に存在しています。
だから仮にグリオーマが再発しても、これまでと同じように西洋医学の治療をひと通り受けると思います。それには、これまでの治療が、手術も放射線も抗がん剤も、自分の場合はそれほど辛くなかったということも影響しているのかも知れません。でもやはり、少なくとも娘が成人するまでは死にたくない、という気持ちの強さによるものだと思います。
「最近の医学の進歩は人間から死への実感を遠ざけてしまったようにも思う」というのは、非常に考えさせられるところがあります。本当にそうだと思う反面、まだ最低18年は生きていたいと思う自分もいて、それを医学に支えてもらっているという事実があります。
だから、今の自分は、いずれ来る死を認識しながらも、その死を少しずつ遠くに押しやりながら生きています。少なくとも娘の20歳の誕生日よりも向こうに行くように。
お久しぶりです。
主人は仕事に復帰し頑張っています。
患者の妻として、いろいろ考えます。
グリオーマ宣告の当初は、夜中に何回も目が覚め、汗で全身がびっしょり!私のほうが病気になるのではないかと思うほど、毎日ぐったりしていました。
人生観、死生観は人それぞれ、私たち夫婦も一致しませんし、主人も私もその時々で変わっていきます。
いざ、死を身近に感じるとコロコロと心は移り変わります。
主人がグリオーマになったことは悲しく辛く、とても悔しいことだけど、私たちの関係や人生について深く考え、自分に対しても人に対しても正直になったことは確かです。人生に深みが増した、少しだけ他人の痛みに敏感になった、、、、そんな収穫がありました。
てるたさん、コメントありがとうございます。
ご主人はお仕事に復帰されているとのこと、本当によかったです!
そうですよね、病気は大変な面ももちろんありますが、それをきっかけに人生の優先順位を再考したり、家族の絆について再認識したりするよい機会にもなりますよね。
「人生に深みが増した、少しだけ他人の痛みに敏感になった」というのは、僕も分かる気がします。ありがとうございました!
はじめまして。高山さんのブログを拝見し、同じような方達へのエールも込めて送ります。うちの主人も高山さんと同じmix型、グレード3です。うちは右前頭葉がメインです。一昨日、再々発のため4回目の手術を受けました。
最初に発症したのはかれこれ11年前になります。
一番下の娘が生後三ヶ月の時でした。やはりいきなり痙攣発作でした。我が家は名古屋市近郊です。初回は救急で入院した近くの大学病院でしたが、そこでは取りきれず、まだセカンドオピニオンもあまりなかった頃、角が立たないように名古屋大学病院に転院して、再手術で、ほぼ全摘できました。
(病院選び本当に大事です)
うちの主人も高山さんと同じ思いで、これまで再発、再々発、手術、抗ガン剤を乗り越えてきたんだろうと思います。
下の娘が成人するまでは負けられない!
凄いですよね、人間って、生きる力って。守らなきゃいけないものがあるって生きるエネルギーですね。
本人、今日も体力回復のため、がんばって食事をとっています。
医学の進歩、そして先生の技術に感謝です。
P.S あまりエールにはならなかったかもしれませんが、とりあえず、人間、頭を四回は間違いなく手術出来るという事です(苦笑)
まじめにコメントをして頂き感謝します。高山さんの「娘の成人までは何としてでも生きたい」という意思はとても素晴らしいと思います。老年に達しつつある私は既に生きることへの意欲が少なくなってきているのかも知れませんね。
私だって決して生を諦めているわけでもないですし、食べ物にも気を使い、運動不足にならないようにしています。お互いに頑張っていきましょう!
ウィンディさん、コメントありがとうございます。
ご主人も僕とほとんど同じようなグリオーマですね。
11年間で4回の手術とは、ご本人もご家族も本当に大変だったことと思います。特に最初のときはお子様も小さかったとのこと。その点も私と状況が似ていますね。本当に大変だったことと思います。
「人間、頭を四回は間違いなく手術出来るという事です(苦笑)」というのは本当にすごいことですね。非常に勇気づけられます。もちろん再発しないに越したことはないのですが、仮にしたとしても手術を含めてまだまだ打つ手はある、という点で、同じ患者として大変心強く思いました。
4回目の手術から数日経ち、ご主人の体力も徐々に回復されてきていることと思います。ともにグリオーマをやっつけてしまいましょう!
こうちゃん361さん、いつもありがとうございます。
そうですね、これからもお互いにがんばっていきましょう!
(でも無理せず適度に!笑)
はじめて。ともひろと申します。私は先月の31日にグリオーマの摘出手術を受けました。診断をされた時は絶望以外の言葉はなく、今後の人生をどのように生きるかを考え、泣きくらしました。今後も、何かとご相談ご連絡をさせて戴きたく思います。何卒、よろしくお願いいたします。
ともひろさん、コメントありがとうございます。
そうですか、グリオーマで手術を受けられたんですね。
私のブログが何かのお役に立てば幸いです。
今後ともよろしくお願いします。