一昨日の12月2日(土)に、実に4年ぶりの開催となった「虎の門13会」に参加してきました。
「虎の門13会」というのは、虎の門病院 血液内科の白血病、悪性リンパ腫、多発性骨髄腫などの血液疾患の患者と、医師、看護師他病院スタッフの集まる患者会、といいますか患者&医療スタッフ会です。
4年ぶりの「虎の門13会」
13会は、以前は毎年春秋の年2回の開催で、ざっくばらんなスタンディングの飲み会(もちろん椅子テーブルありの自由席)だったのですが、コロナ禍により2019年の前回以来、開催されずにいました。
最後に開催されたのは2019年11月ですので、今回は実に4年ぶりの開催です。
その前回の様子→ ▼虎の門13会:白血病の造血幹細胞移植を乗り越えた患者が、医師や看護師と生きる喜びを分かち合う場
コロナで開催できなかったことは残念ですが、それでも4年という長い年月を経て復活できたことには、本当に幹事と病院側の関係者のみなさまのご苦労の賜物です。改めて感謝いたします。
コロナ禍を越えての開催、しかも基礎疾患を持つ患者の集まりということで、大事をとって、今回は虎の門病院内の講堂にて、飲食なしでの開催となりました。
13会当日の様子〜谷口先生のビデオメッセージからスタート
さて当日、僕はよりによってこんな日に電車を乗り過ごしして遅刻しての参加となってしまったのですが、なんとか冒頭の前血液内科部長(兼副院長)の谷口修一先生のビデオメッセージの途中で滑り込みました。
谷口先生は現在は虎の門病院を離れ、虎の門病院と同じ国家公務員共済組合連合会の、浜の町病院(福岡)の院長先生になっています。鹿児島生まれで九州大学出身の谷口先生は、お若い頃にも浜の町病院に勤務しておられました。ということで地元に帰られた形ですね。九州の白血病や悪性リンパ腫の患者さんにとっては朗報と言えるかと思います。
谷口先生は今回の13会にも参加したかったとのことですが、噂によるとこの日はトリプルブッキングというか予定が3つ重なってしまい参加を断念し、ビデオメッセージでの参加になったようです。
ということで、会場では谷口先生の跡を継いで血液内科部長を務める内田直之先生が、病院を代表して最近の虎の門病院や血液内科の様子をプレゼンしてくださいました。
患者一人一人からの自己紹介と近況報告で感激
その後、患者一人一人からの自己紹介というかショートスピーチということで会場をマイクが一巡し、参加者が自分自身の病歴や虎の門病院での思い出、近況報告、また「今でも嗅覚障害が残っていて本当に困っています。同じような患者さんいませんか?」など困りごとの相談などを発表しました。
その中で、何人もの方が、
「高山さんという方のブログや本で虎の門病院を知って、ここで治療を受けたいと思いました」
と言ってくださって、大変感激してしまいました。僕のブログや本がこんなにたくさんの方の役に立ったんだ!という感激です。
白血病や悪性リンパ腫のような、治療が長く苦しく難しい血液がんの場合、病院の選択は命の選択です。その大事な意思決定のお役に立てたということは、自分の経験を発信している身としてこんなにうれしいことはありません!みなさんありがとうございます!
フリータイムは個別に情報交換
参加者が一通りショートスピーチをした後はフリータイムということで、みなさんそれぞれ個別に話したい人を捕まえて近況を報告しあったり、情報交換したり、写真を撮ったりしました。
(こちらの写真の方、写真を撮ったのに連絡先を交換し忘れてしまったので、ぜひご連絡ください!このブログの連絡先宛にお願いします!)
僕もブログや本を読んでくださった方々とお話しでき、個別にも感謝の言葉をたくさんいただいて、改めて情報発信へのモチベーションが上がりました。
最近は本の執筆で忙しくしていますが、改めてこのブログももう少し頻繁に更新しないと!と気持ちを新たにした次第です。
また元プロ野球読売ジャイアンツの鈴木康友さんとも久しぶりにお会いしていろいろお話しできました。ご自身の経験を活かして指導者として現場に立ちたいという夢を追いかけている姿に非常に感銘を受けました。もっといろいろお話ししたかったのですが、時間が足りずに残念でした。
康友さん以外にももっとお話ししたかった人がいたのですが、それは半年後の次回のお楽しみにしたいと思います。
(僕と同室だったと言っていただいた方、読んでいたらどうかこのブログの連絡先宛にご連絡ください!)
先生たちともお話し
また、閉会間際には、内田先生をはじめ、輸血部長になられた森有紀先生、医長になられた山本久史先生、歯科の吉村先生など、会いたかった先生たちともいろいろお話ができました。
ちなみに僕の主治医の山本豪先生(部長になられました)と担当医の湯淺光博先生が出席されていなかったのはいつものことです。あまりこういう場がお好きではないんですよね、お二人とも。
それはさておき、こういう診察室や病室の外で先生たちと雑談をするといつも思うんですが、先生たちは本当に患者さんたちみんなに治ってもらいたくて日々治療に当たっているんですよね。だからこうした場で、実際に患者が元気になった姿を見ることができるのが本当にうれしいとのことです。
アクセンチュアの先輩、古河さんの思い出話を山本久史先生と
この日久しぶりにお話しした山本久史先生は、昨年亡くなられた僕のアクセンチュア時代の先輩の古河さんの担当医でした。古河さんは、僕が新卒でアクセンチュアに入社して2年目にアムステルダムに一年赴任していたとき、同じクライアント先で2人だけのアクセンチュアメンバーとして一緒に働きました。同じアパートに住んでいました。
それから20数年後、僕が虎の門病院で外来の診察待ちをしているときに、同じ待合ロビーに偶然にも古河さんの姿を発見しました。
話しかけると、古河さんは悪性リンパ腫が見つかって「高山のブログや本で虎の門病院を知っていたからここで治療を受けることにしたんだよ!」と虎の門病院で外来で治療を受けていました。
その後、古河さんは虎の門病院に入院し、自家移植を受けることになります。僕はコロナ禍になるまでは、外来診察で虎の門病院に行くたびに入院中の古河さんを訪ねました。
入院されて最初のころは、古河さんは経営者として、ベッドの上から電話で役員会に参加するような、仕事が手放せない感じでした。それがその後、自家移植を経て、病気と治療に本気で向き合うようになっていきます。そんな古河さんとは、病気の話、命の話、人生の話、そして家族の大切さの話などをしました。アムステルダム時代には全くしなかったような話です。
同じ病気をしたからこそ、それも強烈な抗がん剤治療や移植といったがん治療の中でも特に厳しい治療を経験した患者だからこそ分かり合えることがたくさんありました。それまでの会社の先輩後輩とは全然違う形のいい人間関係をこれから築いていけると楽しみにしていました。
4年前の前回の13会開催時は、古河さんはその入院中でした。そのため前回の13会で山本久史先生とお会いした時は、「次回は古河さんと一緒にこの場でお会いしたいですね!僕が13会に誘いますから!」と話していました。
それがまさか、コロナで古河さんが旅立ってしまうことになるとは、全く思いもしませんでした。
山本久史先生は、「医師として全力は尽くしたんですが、力及ばずで…」と肩を落とされていました。病院でもいつも気丈に振舞われていた奥様のことをとても心配されていました。
(左端の古河さんから右に僕、アクセンチュアの先輩の西村さん、同じく丸山さん、クライアントの花輪さん。2018年6月の僕の快気祝いにて。)
若かりし頃にアムステルダムで1年間をともにした古河さんと、まさか虎の門病院で再会し、同じ病気を経験することになるとは思いませんでした。そして「人間の命って…」という話をするようになるとは思いませんでした。
それだけに古河さんのことは、大事な先輩で患者仲間であり、もしかすると人生の友になっていたかもしれない大切な人を失ったという気持ちで、本当に残念です。コロナが本当に憎い。その一点に尽きます。
次回の虎の門13会に向けて
次回の虎の門13会は、予定通りいけば来年春の開催になることと思います。
今回の会場でも「やっぱりお酒があったほうが話しやすいよね〜」というような声が患者からも先生からも出ていましたので、次回はこれまでのように飲食ありに戻るかもしれませんね(もちろん分かりませんが)。仮にそうなると、動き回って話したい人をつかまえて個別に話がしやすくなるので、参加者としてはありがたいです。
いずれにしましても、幹事のみなさま、改めまして今回は13会の再開をありがとうございました。そして次回以降もどうぞよろしくお願いいたします。
次回以降のことが決まりましたら、またこのブログでもご案内できればと思っています。
参考:このブログの「虎の門13会」関係の記事→ ▼虎の門13会 – オーシャンブリッジ高山のブログ