一泊二日の岐阜でのPET検査から帰ってきた日の夜は、いつもお世話になっている地元のNamak Cafe(ナマックカフェ)に家族で行きました。座敷席があるので、小さい子供が一緒でも大丈夫なのです。
この日も家族3人で、おいしいカバーブやレッドカレーをいただきました。食事の後、奥さんと娘は先に家に帰りましたが、僕は一人でカウンターに残りました。芋焼酎を飲みながら、マスターのシンさんといろいろ話をしてから帰りました。
翌日の6月25日(土)に女子医大病院から電話があり、27日(月)に入院することになりました。正直なところ、入院日は少しでも先延ばしになればいいと思っていたので、電話が来たときには、「ああ、いよいよか」と思いました。
この日の夜は、家族で家で夕飯を食べたのですが、その後、僕一人でまたNamak Cafeに行きました。シンさんに「いよいよ明後日入院することになった」と報告して、また病気に関する話を聞いてもらいました。そのときカウンターに飾られていたあじさいの花です。
このNamak Cafeのシンさんとは、もう10年ほどのお付き合いです。今回の病気の件も、最初の病院で脳腫瘍らしきものが見付かったときから、検査の結果や、予想される治療内容、T君に相談した話、女子医大の治療成績、予想される予後など、ポジティブなこともネガティブなことも全て聞いてもらっていました。脳腫瘍ではなく膿瘍の可能性もあるらしいという話も、やっぱり悪性の脳腫瘍だったという話も。
シンさんには、去年、娘が体重1605gの未熟児で生まれて、一ヶ月ほど新生児室に入院していたときにも、何度も何度も勇気づけてもらいました。娘が無事に退院したときには、本当に喜んでくれました。
今回も、僕の話を聞いて、「もっと自分の気持ちに素直になったほうがいいよ」などのアドバイスを交えつつ、いつも最後には「高山君なら大丈夫」と励ましてくれました。
この時期、家族だけではなく、自分のことを分かってくれていて信頼できるシンさんという第三者に、病気の治療や今後の生き方などについていろいろ話して、アドバイスをもらったり励ましてもらったりしたことは、自分の考えを整理し、病気に対するスタンスを確立する上で非常に役に立ちました。
翌日に入院を控えた26日(日)、入院することについて、このブログに「しばらく入院することになりました。」という記事を書きました。この時点ですでに脳腫瘍だとは分かっていましたが、病名は伏せました。その理由は二つです。
まず、この時点では予後(つまりどれだけ生きられるか)についてはっきりしたことが言えなかったということが理由の一つ。脳腫瘍(神経膠腫)の悪性度、つまりグレードが3か4かが分からず、また手術でどこまで摘出できるかが分からず、自分自身、あとどれだけ生きられるのかが分かりませんでした。無事に手術が終わり、腫瘍が98%摘出でき、グレードが3だと分かった今は、自分自身が長期生存に対して具体的な根拠に基づく非常に強い自信を持てていますが、もしそうなっていなければ、最後まで病名は公表しなかったと思います。
そして、脳腫瘍という病名が一人歩きしてしまうと、僕自身だけでなくオーシャンブリッジという会社の今後に対する不安を生んでしまう恐れがあったことがもう一つの理由です。一般的に脳腫瘍には、命に関わる大変な病気というイメージがあると思います。単に「社長が脳腫瘍になった」と聞いたら、「オーシャンブリッジという会社ももうこの先長くないんじゃないか」、と心配される方もいたかも知れません。ですから、手術が成功し、予後、つまり今後の長期生存に向けて自分自身がしっかり自信を持てる状況になったら、その具体的な根拠とともに病気のことを全てブログに書こう、と考えていました。「脳腫瘍ですが、大丈夫です」と(先日の「退院のご報告。」という記事がそれです)。
この時のブログ記事に対しては、みなさんからTwitterやFacebook等でたくさんの応援のメッセージをいただきました。入院前に本当に力をもらい、うれしかったです。改めて、ありがとうございました。
ブログに入院のことを書いたこの日の夜は、娘とお風呂に入った後、家で夕飯を食べました。奥さんが近所のお肉屋さんでいい牛肉を買ってきてくれて、すき焼きにしてくれました。本当においしかったのを覚えています。このすき焼きと一緒にいただいたプレミアムモルツと角ハイボールを最後に、今日まで、アルコールを口にしていません。
さて、6月13日(月)に病気が見付かってから27日(月)入院するまでの2週間は、検査等のために病院に行きながら、もちろん仕事もしていました。新卒・中途採用面接や(お陰さまでこのときに僕が最終面接した候補者のみなさんは全員採用に至りました)、銀行の担当者の方との面談、またテレビの取材対応などもありました。
テレビの取材というのは、東日本大震災の時の京王百貨店の対応に関する、フジテレビの「Mr. サンデー」のインタビュー取材でした。あのときの僕のブログ記事を読んだ番組制作会社のFさんから、この前週のヨーロッパ出張中に取材の申し込みがあり、お受けしていました。正直なところ、病気のことで頭がいっぱいで心ここにあらずといった状態でしたが、オーシャンブリッジのオフィスでテレビカメラを前にインタビューを受けました。(※)
その他、入院までの限られた時間でいろいろと仕事やプライベート(飲み会のメンバー変更など)の用件をこなしました。急ぎではないアポイントメントについては、個別にご連絡して延期とさせていただきました。変更をお願いしたみなさまには改めてお詫び申し上げます。本格的に仕事に復帰しましたら改めてアポイントメントを調整させていただければと思います。
そして6月27日(月)が来ました。いよいよ入院です。
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※ ちなみにこのときのインタビューは、残念ながら放送直前に編成上の都合でカットされてしまいました。この特集の放送日は僕の手術の前日夜(7月3日)だったため、僕自身は放送が見られず、放送されなかったことを知ったのは術後しばらく経ってからでした。後日連絡を取った制作会社のFさんは、「せっかくインタビューのために時間を作っていただいたので、フジテレビ側とも闘ったのですが、ダメでした。力不足で申し訳ありません」と恐縮されていました。
私の場合は4年半前に悪性リンパ腫という病気でした。外資系に転職して一カ月過ぎたばかりの時に強制入院。そして抗がん剤(基本的に血液のがんなので手術ができない)による治療。残念ながらステージはIVでした。でも運良く再発も転移もなく、今に至っています。毎朝ランス・アームストロングの腕バンドを付ける際に「あと一日何もありませんように」と祈るのが日課になりました。
私の立場は責任の重い高山さんとは大きく異なりますが病気を通じて分かったことは「人間の一生の価値は長さではないなぁ」ということです。太く短くても他の人の記憶に残るような生き方ができれば、それで良いのでないでしょうか?リンパ腫の再発こそなかったものの、この4年半の間に脳下垂体腫瘍が見つかりました。いずれは手術をすることになります。いやはや安穏とした一生は難しいものですね。小野リサさんのCDでも読んで、気楽に構えましょうよ!
こうちゃんさん、コメントありがとうございました。
4年半の間、再発も転移もなかったとのこと、本当によかったですね。
人生の価値についてはいろいろ考え方があるとは思いますが、僕は自分が病気になったとき、娘がこんなに小さいうちに死ぬ訳にはいかないと思いました。娘の成長を、せめて成人するまでは生きて見守りたい、それだけの長さは生きたい、ということですね。
その日のために、一日一日を大切に積み重ねていこうと思っています。小野リサさんのCD、今でも家でよく聞いています!