手術までの眠れぬ日々、支えてくれた幼なじみの言葉(経緯10)

手術に関する主治医の先生からの説明(6月29日)の後、手術当日(7月4日)までは、比較的穏やかに過ぎて行きました。
入院初日(6月27日)にある程度の検査は終わっていたのですが、残っている検査がいくつかあったため、この時期にそれらの検査を受けました。
一つは全身のPET検査。脳以外にもがんがないか、つまり脳にある腫瘍が他の臓器のがんが転移したものでないかを調べるための検査です。幸い、脳以外にはがんは見つかりませんでした。


もう一つは脳のMRI検査。それまでも何度かMRIは受けていますが、手術直前の最新の腫瘍の状態を把握するために再度検査しました。幸い、前回の検査から特に腫瘍は大きくなっていませんでした。
そして視野検査。入院初日にも目の検査がいろいろありましたが、検査器を使ってより詳細に視野の範囲、見えない部分がないかを調べられました。
またこの時期、主治医以外の先生や看護師さんからも、手術に関する説明がありました。麻酔に関する説明を麻酔科の先生から聞いたり、手術前後の段取り(当日朝の手術室への入り方、術後のICUでの過ごし方など)の説明を手術室の看護師さんから聞いたりしました。
手術の2日前には、外出許可をもらって、病院近くの美容院に髪を切りに行きました。入院するまでは、手術前に看護師さんか誰かに坊主頭にされるものだと思っていたため、髪を伸び放題のままにしていました。でも入院してから看護師さんに聞いてみると、後頭部のメスを入れる部分の髪を剃るだけとのこと。手術が終わったらしばらく髪は切れないだろうと思い、手術前に髪を切ってきました。
この時期は、入院直後で手術前ということもあり、お見舞いのお客さんもたくさん来てくれました。
オーシャンブリッジの幹部社員の持木君と山下さんは、スタッフ一同の寄せ書きを持ってきてくれました。みんなが帰って病室で一人になってから、スタッフ一人ひとりからのメッセージを読んだら、ちょっと涙が出そうになりました。
オーシャンブリッジスタッフ一同から寄せ書きをいただいた!みんなありがとう・・・(涙)
友人たちもたくさんお見舞いに来てくれました。みなさんそれぞれに僕のことを考えた差し入れを持ってきて、僕を勇気づけてくれました。来てくださったみなさん、本当にありがとうございました。
ベッドの周囲が華やかで愉快で賑やかになった
サイバーソリューションズ @cybersolutions のみなさん、 @cyber_akita さん、本当にありがとうございます m(_ _)m
高校時代の同級生で、長野・高遠の龍勝寺の住職、守山がお見舞いに来てくれた!東京出張の合間に寄ってくれたとのこと。わざわざ病気平癒のお札を持って来てくれた。効き目バッチリとのこと!ただただ感謝。
お見舞いでいただいたてぬぐいとお茶。
お見舞いに来てくれたみんなに勇気づけられる反面、手術に対する不安も増していたのがこの頃でした。
この時期、隣のベッドのIさんが、手術を終えて病室に戻ってきました。良性(恐らく)の腫瘍が脳幹(脳の奥のほう)にあり、それが原因となりてんかん発作が出ていたため、それを摘出する手術だったようです。
僕より若いIさんは、術前は大変元気そうだったのですが、手術から戻ってきたら、吐き気と傷の痛みで本当に辛そうでした。隣にいるこちらも辛くなるほどでした。
さらに、看護師さんが術後にご本人に説明していた内容によると(大部屋なので自然と耳に入ってしまいます)、「手術で頭を開けてみたが、腫瘍があまりにも奥のほうにあったため、今回は取れなかった。だから完治はしていない。今後の治療方針はまた改めて先生から説明がある」というようなことでした。
隣でそれを聞いていて、「手術でこんなに辛い思いをされているのに、腫瘍が取れなかったなんて・・・」と本当に胸が痛くなりました。でもご本人は、この時、その手術の結果以上に、吐き気と首の痛みが辛い様子で、しきりに看護師さんや先生たちに、その辛さがいつになったら収まるのかと聞いていました。そこまで吐き気や痛みが激しかったということです。
僕はこの時、自分の手術を数日後に控えていたため、「自分も、手術で頭を開けてみたが取りきれなかったということになるかも知れない・・・」とか「術後には痛みや吐き気であんなに苦しむことになるのか・・・」といった不安を持つようになりました。
基本的に、自分の手術の方針に関しては、主治医の先生と話し合って100%納得の行く結論が得られていましたし、先生のことも100%信頼して安心してお任せできると心から思っていました。だから、あとは「まな板の上の鯉」みたいなものなので、何も考えずに先生に安心してお任せするしかない、と思っていました。実際、周囲にもそう言っていました。
でも、徐々に手術日が近づき、隣のIさんの状況を見ているうちに、やはり不安も大きくなってきました。そのせいか、この時期はあまり夜眠れませんでした。消灯は21時でしたが、2時すぎまで眠れないこともありました。手術前に寝不足なのはよくないと、看護師さんから睡眠導入剤をもらって寝る前に飲むようになりました。
そんな不安が増していたときに、入院に際し大変お世話になった幼なじみのT君がお見舞いに来てくれました。某大学病院で放射線腫瘍医として活躍している腫瘍の専門家のT君です。僕は手術に関して感じていた不安をT君に話しました。そして彼の回答に、本当に勇気づけられました。当時Evernoteに残した彼の話のメモを一部修正して引用します。

女子医大は脳腫瘍の手術に関しては間違いないから、安心していい。他の病院とは5年生存率が倍以上も違う。脳外科の手術は技術と設備が重要。それらが他の病院と全然違う。
高山の手術は絶対に成功する。失敗するような手術ではない。そこは安心して大丈夫。
(手術中に地震が来たらどうなるのか?との僕の質問に答えて)それは大丈夫。ちょっと揺れたら執刀医は手を止めればいいだけの話。電源も万全。高山はそんな変なことを心配しなくてもいい。
手術直後はうまく歩けなかったりするかもしれないが、一週間もすれば、全く普通に動けるようになるはず。だから術後のこともそんなに心配する必要はない。
今回は、自分で高山の検査画像を見せてもらって、グリオーマ(神経膠腫)だと分かったので、女子医大がベストだと思い、兄(女子医大の放射線腫瘍医)につないだ。グリオーマでなければ、別の病院を紹介していた。
兄によると手術日はもっと早めることもできたが、自分としては、手術の前にまずしっかり検査して、腫瘍の状態を把握して、治療の方針を決めることが重要だと考えた。だから岐阜の病院まで検査に行ってもらった。結果、それがよかったと思う。あとはこの病院の先生に手術してもらえば大丈夫。
神経膠腫でも悪性度がグレード3なら、若ければ治る。5年生存率(女子医大では78%)とか10年生存率とかは、60代、70代のお年寄りも含まれる数字なので。
とにかく手術は成功するから心配するな。それより、退院して、仕事に復帰した後の定期的な通院のほうがストレスになると思う。仕事の時間をやりくりして病院に行くのが面倒臭くなるはず。そんなものだから、手術については安心して大丈夫。

このT君の話を聞いて、本当に本当に安心しました。「手術は成功するから心配いらない」という彼の言葉には、その時の僕には何ものにも代えがたい「支え」となりました。本当に本当に勇気づけられました。
主治医の先生たちは、患者に対して「絶対に大丈夫」とは言えません。患者に対する責任上、当然のことです。患者はできるだけポジティブな言葉を主治医の先生から聞きたいと思って、いろいろ聞くわけですが、先生は軽々しいことは絶対に口にしません。逆に、「何%の確率でこういう合併症のリスクがあります」というようなネガティブな話はたくさん出てきます。これも説明責任上、当然のことで、仕方ありません。
でもT君は、専門家であると同時に、40年近くにわたる友人でもあります。主治医の先生と異なり、一歩踏み込んだポジティブなアドバイスをしてくれます。専門家としての知識・経験を元に、友人としての立場でアドバイスしてくれるT君のありがたさを、改めて心から感じたときでした。
彼はすでにお兄さんから僕の状況を聞いていて、今後の治療方針なども大体把握してくれていました。その彼からの一言一言が安心につながり、本当に勇気づけられました。T君と彼のお兄さんには、本当に感謝してもしきれません。
こうしてT君の言葉に支えられて、7月4日(月)の手術当日を迎えることになります。

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「手術までの眠れぬ日々、支えてくれた幼なじみの言葉(経緯10)」への4件のフィードバック

  1. 高山さんはTさんがいて下さって、本当に幸せでしたね。羨ましいです。私に限らず普通の人は同じような境遇でも、誰も頼る人もおらず、忙しい先生に尋ねるわけにもいかず、ネットすら扱えずに不安の中で手術を受けるのがほとんどです。いいえ、決して高山さんは小さくなる必要はないのですよ。今の厚生行政でポッカリと抜けていているのが、患者さんのそういうケアなのです。今はボランティアの患者会のようなものも出始めていますが、それも実は後ろに政治家がいたり、利益を得ようとする奇妙な団体がいたりと、胡散臭いものもあります。
    もちろん高山さんのような立派なネットワークを築くことができなかったことに責任があると言われればそれまでですが、やはり病気が落ち着いた今になってあの頃のことを思い出すと、孤独に一人で立ち向かわなければならなかった状況が哀しく思えてしまいます。高山さんは良いご友人や同僚・部下に恵まれたことをうんと誇って下さい。そして少し落ち着かれたら、この国で不安を抱えながら手術を待つ患者さんの状況が一体どうすれば解消できるのかを、ほんの少しの時間で良いので考えてみて下さい。何もしなくて良いのです。ただ心の中で考えて下さる人が増えれば、きっと何かが変わると信じています。この日記はきっとその第一歩かも知れませんね。

  2. そうですね、自分が体験したことや考えたことをブログを通じて記録し公表することで、将来の患者さんの参考にしていただくことが、お世話になった先生方・看護師さんや友人たち、社員、家族への恩返しにもなればと思って書いています。

  3. 高山さん、昔の記事にコメントして、すみません。
    若いIさんですが、
    良性だけど脳幹、ひどい吐き気(近くの小脳のせいか?)とは、
    大雑把には私と近い病状だと思います。
    (私は、聴神経に深くり込んでもいました)
    脳腫瘍は、病理が良性でも、できる場所によって、
    Iさんのようになるんですよね。
    その後、治療がうまくいかれたのか、気になります。

  4. 南姫さん、
    Iさんは連絡先を交換しないまま退院されてしまったので、その後の様子は分からないんですよね。たまにあの頃のことを思い出し、どうしているかなと思っています。

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