手術の方針を決断(経緯9)

入院三日目(6月29日)の夜、主治医のYM先生から、手術に関する事前の説明がありました。
手術の説明には原則として家族が同席する必要があるため、奥さんが娘を連れて夕方病院に到着。また僕の母も突然長野から上京してきてくれました。
先生が病棟に到着するのを病棟のロビーで待っている間、看護師さんや他の患者さんが娘に声をかけてくれました。みなさんが娘をかわいがってくれて非常にうれしかったです。


しばらくしてYM先生とTM先生が病棟に到着し、ナースステーション脇の部屋で説明が始まりました。僕の主担当看護師のKさんも同席してくれました。
まず、入院直前の6月24日に岐阜で受けたPET検査の結果の説明がありました。このPET検査では、6月13日に最初の病院でMRI検査したときと比べて、腫瘍は大きくなっておらず、「これはいいニュースです」とのこと。腫瘍の悪性度が高ければ、1〜2週間でもがん細胞は増殖して腫瘍は大きくなってしまうようです。
また3種類のPET検査(メチオニン、コリン、FDGという3種類の核種を使用)のうち、特にFDG(ブドウ糖に類似した物質)を使ったPET検査の結果を見ると、腫瘍細胞へのブドウ糖の取り込みがそれほど多くないため、「悪性度はグレード4よりも3かな」とのこと。グレード4であれば、もっと多くのブドウ糖が腫瘍細胞に取り込まれて集積され、それが画像上に表れるようです。
このお話を聞いて、非常に安心しました。これまでYM先生からは「グレードは3か4」としか言われていませんでしたので、グレード3である可能性が高いというのは非常にうれしいニュースでした。
ただ、グレードについては、最終的には手術で摘出した腫瘍を病理検査してみないと結論は出ません。そのためYM先生も「今の段階であまり喜ばせちゃいけないけど」と言っていました。それでも、基本的に軽々しいこと、根拠のあいまいなことは絶対に言わないYM先生が、ここまで踏み込んでおっしゃってくれた言葉だけに、自分にとっては非常に重みがありましたし、家族と一緒に非常に安心しました。
また神経の通り方を調べる検査の結果を見ると、視神経は腫瘍部分を通っていないため、今回の手術で視神経に影響が出るということはないだろうとのこと。これも一安心。
以上のような検査結果の説明に続いて、今度は手術に関する説明です。どのような方針で、どこまで腫瘍を取るか、ということを、先生の話を聞いて決めなければなりません。
悪性の脳腫瘍(神経膠腫/グリオーマ)は、浸潤性に正常細胞に染みこむように広がっていきます。僕の場合も、右後頭葉に直径3〜4cmほどの腫瘍の塊があり、そこからさらに腫瘍がひげのように伸びていました。
先生によると、このひげのように伸びた部分の奥のほうまで取ることもできるが、そうすると、視野の左半分が見えなくなったり、左半身が不自由になったりするかもしれない、とのこと。そして、これまでのデータによると、そこまで取らなくても、生存率には大きな違いはなさそう、とも。
神経膠腫においては、腫瘍摘出率が予後を左右する大きな要因の一つですが、摘出率が95%に達すれば、それ以上摘出した場合と、データ上それほど生存率に大きな違いが出ていないとのこと。僕の場合、メインの塊の部分の腫瘍を摘出すれば、摘出率は95%に達する見込みということでした。また、ひげのように伸びた部分は、検査上は腫瘍のように見えるが、もしかすると腫瘍ではなく腫れているだけかもしれない、とも言われました。
ここで、決断を迫られました。ひげのような部分までがんばって摘出するか、そこは残すか。がんばって摘出すれば、長く生きられる可能性はより高くなるはずですが、でも半身不随になるかも知れません。ひげのような部分を残せば、術後もこれまで通りの生活はできますが、腫瘍が残ったことにより再発のリスクが高まり、生存期間は短くなるかも知れません(データ上は大きな違いはないとは言え)。少しでも長く生きることを選ぶか、短くてもQOLを選ぶか。
自分にこんな決断を迫られるときが来るとは思いませんでした。
僕はこの日の前日の夜、あと19年は最低でも生きることに決めました。先生にもそのことをお伝えし、「とにかくあと19年生きられるようにしてください」とお願いしました。
それを踏まえた上でYM先生が下記の方針を提案してくれました。
「基本的には95%まで腫瘍を取る。経験上、そこまでで大丈夫と判断すれば、奥のひげのような部分までは無理して取らない。ただ、術中のインスタントな(簡易的な)組織検査で、悪性度がグレード4だという判断になれば、もう少しがんばって奥のひげのような部分の腫瘍も取る」
つまり、腫瘍の悪性度が、女子医大でも5年生存率が13%にとどまるグレード4だった場合は、半身不随になるリスクを取ってでも、少しでも長く生きることを選ぶ、というものです。一緒に話を聞いていた奥さんとも相談した上で、この方針に決めました。
グレード3であれば、女子医大での5年生存率は78%です。そしてこの日のYM先生の話によると、先日調べた10年生存率も、5年生存率からそれほど下がらずXX%以上とのこと(公表前の数字かも知れませんので伏せました)。改めて、病理検査の結果がグレード3であるように・・・と思いました。
手術の方針が決まり、手術後の治療の流れ(病理検査、放射線治療、抗がん剤治療)や、合併症のリスクなどについての説明を受けて、先生とのお話は終了。YM先生は、お忙しい中、十分に時間をかけて丁寧に説明してくださり、また僕らの質問にも非常に真摯に答えてくださいました。
先生の説明内容や、手術の方針が決まったことについても安心しましたが、信頼できるYM先生に執刀してもらえるなら大丈夫、と安心できたことも非常に大きかったです。
また、先生の話をうちの奥さんが一緒に聞いてくれて、方針を決めるのに加わってくれたことも、非常に安心できました。今後も共通の理解のもとに会話ができますし、自分が聞き逃した点なども確認できます。
今こうして当時のことをブログに書き起こしていて非常に感じるのですが、自分の記憶など本当にあいまいなものです。自分に都合のいいように書き換えられてしまいます。だから、Evernoteやブログなどにきちんと記録を残しておくことが非常に大切だと感じています。
そしてこの日、先生からの大切な話を奥さんにも聞いて理解してもらっていたことは、その時も安心できましたが、その後も「あの時YM先生はこう言ってたよね?」と確認でき、自分の記憶違いを正すことができたため、本当に助かりました。
先生との話が終わってから、家族でロビーの椅子に座り、少し話をしました。とにかくまずは一安心、あとは先生方にお任せするだけだ、という話をして、三人は帰って行きました。
僕は病室に戻って、遅い夕食を食べました。たまたま僕の好きなとんかつでした。先生の話を聞いた直後ということもあり、「病気にも『勝つ』ということだ!」と勝手に考えていました。
またこの夜、放射線腫瘍科のKM先生が、わざわざ病室に顔を出してくださいました。今回の病気が分かってから最初に相談した、幼なじみのT君の、実のお兄さんです。僕が女子医大で迅速に治療を受けることができたのは、すべてT君とKM先生のお陰です。
そのKM先生が突然病室にまで来てくださったのにはビックリしました。先ほどの手術の説明の後、YM先生がわざわざKM先生に電話をして下さったとのことでした。そのため僕の病状も全て把握されているご様子でした。
KM先生には、とにかく今回お世話になっていることに対する感謝の意をお伝えしました。でも、感謝してもしつくせません。KM先生は、「まあいいからいいから。手術がんばってね」というような感じで帰っていかれました。
そして、このように脳神経外科のYM先生と放射線腫瘍科のKM先生がタイムリーに連携しているこの病院なら、これからの治療も安心してお任せできるな、と感じました。

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