バルセロナからZyncro Tech社のDidacとLuisがお見舞いに来てくれた翌日の7月14日、僕はベッドの上で、Zyncroをテーマとしたオーシャンブリッジ主催のイベント「エンタープライズ・ソーシャル・コラボレーション・セミナー」の様子をTwitterのタイムラインで追いかけていました。
これは、本来は僕が中心となって企画してプレゼンなども行うつもりだったセミナーです。でも、さすがに入院するとなにもできませんので、何もかもスタッフのみんなに任せるしかありません。まだ企画も固まっていなかった入院直前に、幹部の菅沼君を呼んで、「この部分は前にお世話になったこの人に相談して進めてみて」「この部分についてはあの人とあの人にも協力をお願いしてみて」と言い残して、僕は女子医大に入院しました。
Zyncroは、僕自身がプロジェクトの中心となって、5月に国内でリリースし、記者会見やブロガーミーティングを開催しました。そして6月のバルセロナ出張でのZyncro Tech社とのミーティングを経て、7月に再度大きなイベントを開催して盛り上げる、という流れで進めていました。僕自身、Zyncroには強い思い入れがあるため、その重要なイベントを前に入院してしまうのは辛かったです。
でも、僕がいなくても、イベントは大成功でした。菅沼君を中心としたスタッフみんなのがんばりのお陰で、そして協力してくださった社外のみなさまのご支援のお陰で、大成功に終わりました。
(ご協力いただいたイシン大木さん、ネタフル コグレさん、シックス・アパート関さん、ビーコミ加藤さん、改めて大変お世話になりました。本当にありがとうございました)
僕は当日、ベッドの上でTwitterをチェックしていたのですが、Zyncro関連のツイートがたくさん見られました。実況ツイートをしてくださる方もいたため、会場の様子もなんとなく伝わってきました。そして、イベントが成功したことも、タイムラインの合間から伝わってきました。
そうしたツイートを見て、僕も少しでも盛り上がりに協力できればと思い、リプライやリツイートをしていました。この頃は今よりもかなり視野が狭い状態だったため、iPhoneでTwitterの文字を読んだり書いたりするのが非常に大変だったのですが、Twitter越しにZyncroのイベントが盛り上がっているのを見て、本当にうれしくなり、ついついたくさんのリプライやリツイートをしてしまいました。
当日のZyncroイベント関連のツイートは、ビーコミ加藤さんがトゥギャッターにまとめてくださっています。
僕は、スタッフががんばってイベントを成功させてくれたのをTwitter越しに見て、本当に安心しました。この時初めて、「部下に仕事を任せる」ということが体感的に理解できたように思います。
僕はこれまで、部下に思い切って任せるということがなかなかできませんでした。重要な仕事や新しい仕事の場合は特に。傲慢にも「何ごとも自分が一番うまくできる」と思い込んでいたため、スタッフに完全に任せることはせず、細かいところまで口や手を出します。当然、僕自身の仕事も増えますし、スタッフもやりにくいはずです。「仕事を任せると部下は伸びる」と多くのビジネス書には書いてありますが、大切な仕事ほどそんなに簡単には任せられない、と思っていました。
でも今回はさすがに任せざるを得ません。病院にいれば、口も手も出せませんから。そして任せてみたら、うまくいったのです。Zyncroのイベントは、僕がいなくても成功したのです。それだけの力をうちのスタッフは持っていましたし、またこの仕事を通じて、それぞれが少しずつ成長したのです。
本を読んで頭で理解できても、なかなか実践できなかった「部下に任せる」ということが、入院により強制的に「任せざるを得ない」状況になって、初めて実践され、そしてその結果、スタッフは仕事を成功させ、成長してくれました。「仕事を任せると部下が成長する」ということを初めて体感しました。頭だけで理解していたことが、初めて腹に落ちました。これは僕が病気になったことの意味の一つでもあると思っています(「病気の意味」についてはまた改めて書きます)。
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さてこの頃(術後10日)、身体の状態は日に日に良くなっていました。この日も日中、ZyncroイベントのTwitterチェックが終わった後には、看護学生のIさんと指導教官のMさんと一緒に、院内を散歩して歩いていました。でもその後に少し頭痛が出てしまいました。ちょっと無理をすると、それが頭痛となって表れます。
また視野については、見えなくなっている視野の左下4分の1の領域に、激しく残像が出ていました。昼間、病棟の外を歩いているときに左側をすれ違っていったおじさんの姿が、病室のベッドに戻っても残っているのです。お世話になった看護師のKさんから、検温のときに「おじさん、まだ見えますか?」とよく聞かれていたのを覚えています(笑)。
でも、朝の回診のときに主治医のTM先生に伝えると、「残像は、視野の回復の過程でよくあることですので、これからの回復に期待が持てますよ。これまで同じように後頭葉の視覚野の腫瘍を手術で摘出して、視覚障害が残り、その後回復した患者さんも、同じように残像が出ていました」とのこと。これを聞いて安心しました。
そしてこの日、週末の外泊許可が出ました。翌日の金曜日の夕方から日曜の夕方まで、家に帰ってもいいのです。前述のように、この頃はもう院内をある程度歩き回れる状態になっていたのですが、それでもまだ7月4日の手術から10日しか経っていません。家に帰れるのはうれしい反面、多少の不安もありました。
高山さんとはうんと年齢の離れた私ですが、このブログを拝見して今回は良い経験をされたなと感じます(失礼に聞こえたらごめんなさい)。私は若い時から鼻っ柱の強い自信家でした。確かにある程度器用でもあったし、物事に熱中するところはあったのです。ですから何をやってもそれなりにこなせたし、失敗も少なかったかも知れません。またもともと高いものを目指したい性格だったので、いわゆる「できもしないのに完全を目指すタイプ」だったのです。今から考えると「嫌な上司」だったと思います。部下が考えて準備する前に先回りして用意をさせるクチでした。
病気になって入院している間に、たくさんのことを考えました。その中で気づいた一番大きなことは「自分は一人で生きているわけではない。周囲の力で生かされているんだ」ということです。こんな子どもでも分かることが身体で理解していなかったことに気づいたことだけでも、私は胸を張って「がんになったことを誇りに思える」と言えます(ちょっぴりやせ我慢も含めて)。
今ならきっと良い上司になれると思うのですが、ただ一つの残念は現在は部下が一人もいない境遇だということです。高山さんは良い部下や周囲に恵まれてらっしゃいますから、その方達がさらに大きく羽ばたけるようにしてあげて下さいね。
こうちゃん361さん、ありがとうございます。
そう、「生かされている」ということも、やはり今回初めて体感的に理解しました。実際、周りの助けがなければ、僕の命は数年で終わっていたはずですので・・・。
仕事に関してはどんどん任せる方向でやっていますが、まだ自分の関わり方を模索しているような状態です。任せながらも必要に応じて方向修正したり問題解決したりする必要がありますからね。試行錯誤しながらやっていきます。