前回の闘病記からの続きです。
◼︎2013年6月29日(土)。入院48日目。抗がん剤治療開始から40日目。
この日は朝から、前日の転倒の影響で頭というか額の傷口が痛く、痛み止めのロキソニンを飲みました。左目を瞑ると痛んでいたので、傷口が突っ張っていたのだと思います。
その後、担当医のMY先生が来てくれたので、連日続いている治療方針に関する議論をこの日も。先生のお話の概要は以下の通り。
(僕がこの日お見せした)米MD Anderson Cancer Centerの2010年の282人の患者を対象にした論文は、自分もGY先生も読んでいます。基本的に海外の主要な学術誌は目を通しています。
やはり高山さんの場合、判断が難しいのは腫瘍の骨浸潤です。CR1(第一寛解)の判断は、今のHyper-CVAD/MA療法が6コース終わってから、PET検査などで行います。6コースか8コースかは、副作用とのバランスもありますが、6コースで判断しようと考えている
ます。例えばそれで6コース後に寛解が得られたとしても、そこでは移植をせずに一旦様子を見ることにして、その後もし腫瘍が動いたら(再発したら)、再度化学療法をやってCR2(第二寛解)へ導入して移植に持ち込む、というのも一つの治療方針の考え方です。ただ、その段階でCR(寛解)へ導入できるかが不透明です。もしCR2(第二寛解)へ導入できないと、移植の効果が下がってしまいます。
移植治療に伴う入院期間は3ヶ月から半年、長いと一年かかります。移植後のGVHD(移植片対宿主病)はもちろん、血球が下がる期間が化学療法中より長くなり、感染症への対応で時間がかかるためです。
この日のお話では、まずは移植を回避する、という選択肢も出て来て、その可能性に惹かれました。詳しくは、次週にご家族も含めて相談しましょう、ということになりました。
また、前日の転倒後に撮影した脳のCT画像(この記事冒頭)も持って来てくれました。前日の説明の通り、特に問題はなさそうとのこと。
ちなみに、一番下の段の3枚の写真を見ると、左下のあたりに黒い穴のようなものが見えますが、これは2011年の悪性脳腫瘍(グリオーマ)摘出手術の跡です。以前腫瘍があったこの部分には、今はこのように穴が空いて、体液が溜まっています。(こちらの記事には横から見たMRI画像もあります。横からの方が穴が大きく見えます)
さて、この日は一日、前日の転倒の影響で、歯磨きもトイレも、看護師さんが付き添いで、車椅子で行きました。前日に引き続き、大変な状況の時にいつも助けられている看護師のMさんが担当してくれました。
この日も午後、家内がお見舞いに来てくれました。お昼用にマクドナルドのハンバーガー、夕飯用にオムライス弁当を持って来てくれました。
連日、MY先生と話している治療方針の話や、最近読んだ英文の論文の話をしたところ、「治療方針については、一人で考えずに、一緒に考えようね」と言ってくれました。
しばらくして看護師のMさんも病室に顔を出してくれました。「昨日は奥様もビックリされたでしょう?」など、しばらく3人でおしゃべりしました。帰り際には、「また車椅子もいつでも呼んでくださいね」と言っていただき、心遣いがありがたかったです。
その後、輸血がありました。これは前日の転倒とは関係なく、抗がん剤治療MA療法の副作用で血球が下がったためのものです。
まずは真っ赤でちょっとホラーな赤血球から。
その後、血小板の輸血もありました。輸血が終わった頃に、消灯となりました。
無事に一日が終わりました。