前回の闘病記からの続きです。
◼︎2013年7月16日(火)。入院65日目。抗がん剤治療開始から57日目。
前日に引き続き、舌に痺れがあり、さらに喉の痛みも出てきました。特に喉は、食べ物を飲み込む時に痛く、食事の時に苦労しました。担当医のMY先生によると、喉の痛みは化学療法の副作用ではなく、風邪かもしれない、とのこと。
この日、改めて、MD Anderson Cancer Centerの論文を読みながら、その後の治療方針を考えていました。先生たちとの会話や議論から、やはり造血幹細胞移植(骨髄移植、臍帯血移植)治療を早期に受けるべきか、と気持ちが傾いたこともあったのですが、やはり、自分で調べて見つけたこの論文を信じ、化学療法のみで治す方向へ進むべきではないかという気がしてきました。
家内にそうした考えをメールで伝えて、
これが信じて自分で選ぶということかな。
と書いたら、
そうだね。自分の魂の声に耳を傾けているのかも。
と返事がありました。それを見て、僕の中で
この方向でいけるのではないか、化学療法のみで治せるのではないか。
という思いが強くなってきました。
その後、夕方に家内がお見舞いに来てくれて、この話の続きをしました。家内は以下のようなことを言いました。
あのMD Anderson Cancer Centerの最新の論文を見つけて、それを信じて治療方針を決めるのも、ある意味では医療における「海外との架け橋」だよね。オーシャンブリッジがITの世界でやってきたことと同じ。
それを聞いて、
確かに僕らしいといえば僕らしいなあ。
と思うとともに、この方向性への確信が増していきました。
家内は帰り際に、僕が前よりもいい顔をしている、と言っていました。「化学療法で治す、治せる。そのために残りの治療もがんばれる」と考えられるようになってから、初めて気持ちが前向きになってきたと感じていました。
そしてそれも、僕の話を聞き、精神的にも支えてくれる家内のお陰でした。