今日、2014年12月19日で、虎の門病院を退院してから一年となりました。7ヶ月の入院から退院しての一年間。あっという間だったような、長かったような気がします。
でも、一日一日、一所懸命に生きてきたように思います。それは入院中と変わらないかも知れません。
退院当初は、久しぶりの自宅での生活で、足腰の筋力が想像以上に弱っていたことに驚き、困りました。階段を上るときは四つん這い、下りるときは両手で手すりにつかまらないと、上り下りできません。
また病院のベッドでの生活ともう一つ大きく異なったのが、フローリングや畳での生活です。つまり、床や畳に座り込むと、どこかに掴まって腕力の助けを使わないと、脚力だけでは立ち上がれないのです。
そんな状況でしたが、年が明けてすぐ、4週間の放射線治療が始まり、平日は毎日通院しました。最初はもちろんタクシーで往復しました。でも少しずつ筋力や体力が回復してきたため、帰りは電車に乗るようになり、そのうち、往復ともに電車に乗れるようになりました。それでも、帰りに駅から自宅まで歩く時には、疲れて足が動かなくなり、柵や電柱に掴まって何度も休憩したりしました。
その4週間の放射線治療が終わり、完全に自宅療養になったのが2月初め。でも当初は、何もせずに(ブログは書いていましたが)家にいることに強い罪悪感を感じ、抑うつ的になりました。
「自分は社会に対して何の付加価値も提供していない。会社に対しても貢献できていない。何もせずに家にいていいんだろうか」
という気持ちに毎日悩まされました。
でも、無理に会社に行った時、僕から社長を引き継いでくれた持木君をはじめとする幹部メンバーに、口々にこう言われました。
「高山さんは健康を取り戻すことが仕事ですから!」
「会社のことは、私たちを信頼して任せてください!」
また、家内(臨床心理士)とも何度もこの話をし、
「あなたは今、生きているだけで価値がある。家族にとっても、会社にとっても。そして闘病記をブログに書いていることで、大きな社会貢献もしている。だから仕事とか付加価値とかなんて考える必要はない。」
これらの幹部メンバーや家内の言葉に救われて、少しずつ、
「ああ、これでいいんだ。無理する必要はないんだ。今のありのままで生きていればいいんだ。」
と思えるようになりました(なんかアナと雪の女王のエルサみたいですが。笑)。
でも本当にこれらの言葉は支えになりました。今でも支えになっています。
そして、娘の力。4歳の娘は今でも、折に触れて、
「パパ、もう絶対に入院しないでね!」
「パパがいない時、ママと二人きりで、本当に寂しかったな」
「これからは、三人一緒に、仲良く、病気しないでいこうね」
と言います。それを聞くたび、
「自分はもうずっと健康でいられる。脳腫瘍も白血病・悪性リンパ腫も再発はしない。」
という確信が深まります。
最近は、会社にも週に1回くらいは顔を出し、ミーティングをしたり、お客様をお迎えしたり、事務処理をしたりしています。基本的には、会長として、社長の持木君をはじめ幹部チームのアドバイザー役をやっています。
ただ、体力や筋力、体重はある程度回復したものの、帯状疱疹後神経痛は相変わらずで、それも含めて体調には波があり、予定していたミーティングを急にキャンセルしてしまったりもします。また視覚障害も相変わらずで、会社に行くときに混み合った渋谷駅を歩く時などは人にぶつかったりしています。でもそれも、まだ無理をするなということだと思っています。
今回、改めて、1年前に書いた退院報告の二つの記事を読み返してみました。
▼退院しました(その1)そしてオーシャンブリッジの社長を退任し、会長になりました。
▼退院しました(その2)僕の病気について〜白血病 / 悪性リンパ腫
改めて、社員のみんな、友人たち、お世話になった病院の先生や看護師さんたちには、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
最後に、1年前、僕を温かく迎えてくれた家内と娘に感謝を込めて、退院時の自宅の写真を再掲します。
はじめまして。59歳、盛岡市在住です。朝日新聞読みました。
自身、乳がん脳転移で定位放射線照射を今年3月末に受け、残念ながら副作用で浮腫のため半身マヒで2カ月ほど自由を奪われました。最新のピンポイント照射の治療法で癌消滅を期待しましたがそれもならず再発、反対側に数個の再発、8か月後に病院を代えてガンマーナイフによる治療を受け副作用もなく現在に至っています。
3年前に肺転移、共存しながら生存。ホルモン療法の薬を勝手にやめたことが悔やまれます。3年後に脳転移、半年ほどして背面痛でPET検査、腸骨、胸椎に転移発覚。圧迫骨折で痛みに2カ月弱くるしみましたが、新たな注射によるホルモン療法と痛み止めの麻薬で骨折予防のコルセットで固定しながら生活できています。
脳転移余命1年と聞き及びますと穏やかではありません。
高山さんの記事をみて驚きました。良い病院と良い治療に恵まれておられるのでしょうか。東京在住の方がうらやましいです。
厳しい状況の癌で生存する人、あっけなく命尽きる人の境目は何なのでしょうか。余命宣告受けても「がん、治っちゃいました」という治ったさんもいます。気持の問題でしょうか?今一番の心配は、骨の転移で、身体麻痺で動けなくなることです。
大学病院に通院恵まれてはいるのでしょうが、照射の経緯がトラウマになり医師に骨への放射線照射を勧められていますが、怖いです。脳外科医には、脳の再発に手術、整形外科医には、胸椎転移は脊髄に近いので手術で取り除くことを勧められました。原発の病巣ではないので、癌を取り除くことで目に見えない癌細胞があちこち飛ぶのではと恐ろしいです。体のどこに癌細胞が潜んでいてもおかしくない状態だと思っています。患者の体を全体で診てくれる腫瘍内科医みたいな医師の存在がほしいです。残念ながら12年目の局所再発での医師との出会いに恵まれずつまずき医療者に不信感、猜疑心が強く心穏やかでいられないのが今の一番の悩みです。
病院を代えられればいいのですが地方は数がないので簡単ではありません。生き延びるため先進医療も考えましたが費用がかかりすぎます。弱気より強気で生きる。気力と体力ですね。頑固でかたくなな性格も治したいものです。
吉田さん、コメントありがとうございます。
これまでの治療、本当に大変だったことと思います。
またこれからの不安も大きいことと思います。
具体的なアドバイスはできないのですが、私の考えとしては、がん治療においては、最善の病院の選択、治療方針に関する医師との議論と完全な納得、その後の医師と治療への信頼と委任が大切なのではと思います。
これまでの経緯から不信等もあるかと思いますが、医師としっかり話されて、吉田さんが最善の治療を見つけられることを願っております。