生き残った者同士の涙の抱擁:恵比寿allee並木恵子ママ還暦パーティーにて

先日、恵比寿の葡萄酒房alleeの並木恵子ママの還暦お祝いパーティに行ってきました。
恵比寿allee並木恵子ママ還暦バースデーパーティーにて


このパーティーは、シェフの吉田さんが恵子ママには完全にシークレットで企画したサプライズパーティー。僕ら家族は、前回alleeを訪れたとき、帰り際に店の外で吉田さんから秘密でお誘いいただいていました。「恵子さんには絶対に内緒でね!」と念を押されて。
ちょっと遅れて到着すると、お店はすごい人。テーブルは満席で通路に人があふれて立ち飲み状態です。
最初に吉田さんのあいさつ。ここで経緯が明かされて恵子ママもビックリ。どうやら今日はお店は休みで、でも一緒に焼肉を食べにでも行こう、と吉田さんから言われていたようです。スゴイ仕込み(笑)
恵比寿allee並木恵子ママ還暦バースデーパーティーにて
そして店内には還暦を祝う60個の風船が!恵子ママだけでなくうちの娘も大喜び(笑)
恵比寿allee並木恵子ママ還暦バースデーパーティーにて
店内には特製ポスターも。実はビルのエレベーターにも拡大判が貼ってあっていきなり驚きました(笑)なお歌手のご経験はないはずです(笑)
恵比寿allee並木恵子ママ還暦バースデーパーティーにて
寄せ書きノートも回されました。我が家も三人でお祝いメッセージを書かせていただきました。
恵比寿allee並木恵子ママ還暦バースデーパーティーにて
昔バイトで働いていたスタッフのみなさんも来ていました。恵子ママに花束贈呈です。
恵比寿allee並木恵子ママ還暦バースデーパーティーにて
旧バイトのみなさんも、今はそれぞれの道でがんばっているようでうれしかったです。そしてみなさん、娘が赤ちゃんの頃のことを思い出して「もう小学生か!大きくなったね!」と喜んでくれました。
終盤には、ママと弟さんからの感動的なスピーチも。
恵比寿allee並木恵子ママ還暦バースデーパーティーにて
僕がこのalleeに通い始めたのは確か1999年ころでした。当時、恵比寿にあるWeb関連ベンチャーのDMLで働いていました。近くにワインが飲めるお店がないかと探していて、ぐるなびか何かで見つけたのがきっかけでした。おいしい料理とリーズナブルなワインが気に入って、会社のお客さんをお連れしたり、会社のメンバーと行ったりするようになりました。
その後、僕は2001年にオーシャンブリッジを設立し、オフィスが渋谷になったため、しばらく足が遠のいていました。2004年に、たまたまオーシャンブリッジ設立3周年の記念品の手配に恵比寿に行ったとき、一緒にいた会社の持木君と二人で立ち寄ってみました。
3年ぶりにお会いしたママと「会社作って独立しました」というような話をしていたら、お互いに人生の話になり、閉店後のカウンターで、メニューにはない焼酎を飲んで語り明かしました。
それからは、またオーシャンブリッジの打ち上げなどでまた通うようになりました。打ち上げのたびにスタッフが増えていく様子や、スタッフの人となりも、恵子ママはよく見てくれています。
オーシャンブリッジの海外パートナーの来日時、最終日のディナーは必ずここでした。アメリカのパートナーのCEOも、イギリスのCEOも、スロベニアのCEOも、みんなここのおいしい料理と恵子ママの温かいホスピタリティが大好きです。ママは外国人ともすぐに仲良くなり、肩を組んで写真を撮ったりもしました。
オーシャンブリッジのお客様もたくさんお連れしました。おもしろいのは、お連れしたみなさんの多くが、お店を気に入って、その後リピーターとなって、プライベートでも来るようになるのです。
プライベートでは、友人たちから結婚の報告を受けて結婚相手を紹介してもらうのも、すべてここでした。ここで友人の結婚証明書に証人としてサインしたこともあります。
僕たち夫婦に赤ちゃんができたときは、大きなお腹の家内と一緒に報告に来ました。子どもができる前に、アメリカのパートナーのCEOから、子どものいる人生のすばらしさを説かれたのもこのお店でした。
2011年に脳腫瘍が見つかり、しばらくお店に来られなくなりました。社員がお店に来たときに、ママに脳腫瘍のことを伝えてもらいました。その後退院して、娘と三人で報告に来たときには、恵子ママは涙を流して喜んでくれました。
2013年には白血病・悪性リンパ腫にかかりました。7ヶ月入院し、退院後も体力がなくなかなか来られない時期が続きました。でもようやくお店に顔を出せたときは、また恵子ママは自分のことのように泣いて喜んでくれました。
その後も家族での節目のお祝いは全てこのお店でやっています。脳腫瘍卒業のお祝いも、お誕生日のお祝いも。出版記念のお祝いのときは、吉田さんも恵子ママも他のスタッフのみなさんも一緒に、サプライズで乾杯してお祝いしてくれました。
僕は、恵子ママとは、人生のたくさんの大切な節目を共有しています。ビジネスでも、プライベートでも。
そしてそんな恵子ママ自身も、大病で生死の境をさまよった経験があります。病気のご家族に臓器提供もされています。
だから恵子ママはいつも僕に、「高山さん、お互いに生き残った者同士がんばろうね!」と言います。
この日も、お互いにそんな話をしながら、涙を流して抱き合いました。家内も泣いて抱き合っていました。最後には娘も含めてみんなで笑って抱き合って、店を後にしました。
恵比寿allee並木恵子ママ還暦バースデーパーティーにて
18年前にたまたま見つけたお店と、こんなに長い間、こんなに深いお付き合いをするようになるとは、本当に不思議なものです。でも人生は、こうした人との縁によって紡がれていくのかもしれません。ちょっとしたきっかけが、長いお付き合いになることもあります。そうしたきっかけに巡り合うかどうか。巡り合ったきっかけををつかむかどうか。つかんだきっかけが長く深く育っていくかどうか。それが人とのご縁ということなのかもしれません。
著書「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」の4章で、偶然とは思えない人とのご縁に助けられたということを書きました。きっとalleeの恵子ママも、僕の人生のシナリオに書き込まれている重要な登場人物なのだと思います。
恵子ママ、吉田さん、スタッフのみなさん、これまでありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」書影・表紙画像\
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ

(幻冬舎/税込1,188円/全国の書店にて発売中)

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