僕が20回目の結婚記念日に妻に送ったメッセージと、一つの疑問

一昨日の2017年12月5日は、20回目の結婚記念日でした。
結婚記念日の花


当日の夕飯の前、妻と娘がお風呂に入っているうちに、僕は秘密で用意して隠しておいたお花を食卓に飾っておきました。出てきた二人はビックリ。サプライズ成功です。
夕飯は、「パパとママの結婚記念日だから、私が作る!」と張り切った娘が、包丁を駆使していろいろ作ってくれました。
結婚記念日のディナー
ツナのサンドイッチ、オリジナルサラダ、そしてパリパリチーズが娘の料理。鶏の唐揚げだけはさすがに妻の料理です。さらに娘はチョコレートのデザートも用意してくれていました。どれもとてもおいしかったです。
乾杯のときには、僕も妻から少しビールを分けてもらいました。本当はアルコールの解禁はお正月からということにしていたんですが、まあ少しくらいのフライングは大丈夫でしょう。何と言っても、せっかくの結婚20周年のお祝いですからね!
結婚記念日にちょっとフライングでビール。
結婚して20年。妻と出会ったのは、僕が大学に入学した直後、18歳のときですから、それから数えるともう29年です。
この日プレゼントした花には、こんなメッセージを添えました。

この20年、大変な苦労をかけました。結婚してくれてありがとう

もし、あの頃20代だった妻が、僕と結婚してからの20年間に起きることを事前に知っていたとしたら、僕と結婚してくれていただろうか?と思うことがあります。
外資系企業への就職(結婚前)、
海外赴任での遠距離恋愛(結婚前)、
大企業からベンチャーへの転職(結婚前)、
オーシャンブリッジの起業、
何度か訪れた倒産の危機、
海外ビジネスの増加と事業規模の拡大、
娘の誕生、
悪性脳腫瘍(グリオーマ)で一回目ののがん闘病、
急性リンパ性白血病(リンパ芽球性リンパ腫)で二回目のがん闘病、
急性骨髄性白血病で三回目のがん闘病、
本「治るという前提でがんになった」の出版、
そしてM&Aによる会社の売却
本当に山あり谷ありの20年でした。特にここ数年は、度重なる僕の闘病で、妻にとっては苦労ばかりだったと思います。
そんなことを考えながら、妻には上記のようなメッセージを送りました。だから「結婚してくれてありがとう」というのは、僕の心の底からのメッセージです。
結婚記念日の薔薇
妻はときどき、僕と結婚したお陰で、普通の人とは違う、何が起こるか分からない波乱万丈のエキサイティングな人生が送れて楽しい、と言ってくれます。
でも、もし仮に、実際に起きる波乱万丈なできごとを結婚前に知っていたら、結婚してくれていただろうか、と思うことがあります。この疑問については、今晩、妻に聞いてみようかなと思います。その答えは、またこのブログでご報告したいと思います(ただし回答内容によります 笑)
結婚記念日の薔薇
そして今は、僕たち二人だけではなく、娘が家族の一員となり、大人顔負けの本質を鋭く突いた発言で、家族をまとめる(つまり夫婦喧嘩を仲裁する 笑)重要な役割を担ってくれています。
やはり僕の闘病で寂しい思いを何回もしてきた娘は、僕が家に帰ってきたいま、折に触れて言います。

家族三人でいると幸せだね。

20年前に僕と妻の結婚で始まり、7年前の娘の誕生で三人となった高山家。この三人での幸せで平穏な生活を、これからはずっとずっとずっと続けていきます。そして、娘の二十歳の誕生日も、結婚式も、孫の誕生も、家族みんなでお祝いします。
三回目の闘病をほぼ乗り越えた今、家族三人そろっての平穏な生活を送る準備はようやく整いました。
もう病気には、この平穏な生活を邪魔させません。絶対に。
(※記事中の写真について:花の写真はFUJIFILM X-T10 + XF18-55mmF2.8-4、料理とビールの写真はiPhone Xのカメラのポートレートモードにて撮影しています)

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