久しぶりの投稿になりました。
ここのところ全体としては体調が良く、穏やかに過ごしています。
とはいえ、体に全く問題がないわけではありません。脳腫瘍、急性リンパ性白血病、急性骨髄性白血病の3回のがん闘病の結果、いろいろな後遺症が残っていて、それがQOL(クオリティ・オブ・ライフ)の低下につながっています。
ということで、今日は現時点での体調や、いまだに残っている治療の後遺症による障害などについて、一度まとめておきたいと思います。
◆短期的な症状について
ここ最近の短期的な症状としては、通院に関するブログ記事でも書いていましたが、発熱や腸の不具合(下痢等)があります。
●発熱
発熱については、一時よりはだいぶよくなったのですが、でも日によっては、特に疲れが出る夕方以降に発熱してしまったりしています。とはいえ38度にまで上がることはなく、熱が出ても37.5度程度なので、解熱剤のカロナールもあまり飲まずにやり過ごしています。
腸の不具合(下痢)
熱が出ると腸の方も下痢になりがちです。下痢もなかなか厄介で、夜、布団に入ってもお腹の調子が気になって眠れず、数時間経ってトイレに行ってから、ようやく落ち着いて眠れる、というような状況です。だから下痢のときは寝不足になります。
風邪
これらの症状を考えると、やはりいまだに、さい帯血移植後の免疫抑制状態にあることから、何らかの細菌やウイルスによる感染症(風邪を含む)にかかってしまい、それが腸の炎症や発熱といった症状として発現しているのではないかと思います。そしてその感染症が治まってくると、発熱や下痢も治まってきます。
特に昨日は、珍しく、喉の痛みや鼻づまりなどの症状も新たに出てきてしまいました。やはり今は風邪をひいてしまっているものと思います。風邪(感冒)であれば、有効な薬はなく、体を休めて自分の免疫力で回復するしかありません。そのため、昨日今日は、外出を控えて、家でおとなしくしています。
◆長期的な治療の後遺症と障害について
上記の短期的な症状については、通院時のブログ記事などで、診察の内容として随時書いていますが、それ以外にもいろいろな後遺症が残っていて、日々の生活でいろいろ苦労しています。
そして、実際に日々の生活で苦労し、QOLを大きく低下させているのは、前述の短期的な症状よりも、こちらの長期的に残っている後遺症による障害です。これらは発症時点の過去のブログ記事には書いているのですが、最近はあまり書くことがなかったため、改めてまとめておきます。
視覚障害(視野左下四分の一の視野欠損)
2011年7月の脳腫瘍(グリオーマ)摘出手術の後遺症で、視覚障害が残っています。視野全体を縦横に四分割した時に、左下四分の一のエリアが見えません。視野欠損です。具体的な見え方の説明や生活上の困難は、図や写真を使って説明した下記の記事をご参照ください。
▼脳腫瘍摘出手術後の視覚障害の実際(視野障害・半側空間無視)
視野の左下が見えないと何が一番困るかというと、外を歩いている時に、人や物にぶつかってしまうということです。特に駅などの人混みを歩くときは、左側を歩く人によくぶつかってしまうため、非常に神経を使って歩いています。
でもどれだけ気をつけて、左側や正面に視線を頻繁に動かして、キョロキョロして歩いていても、急いで歩いている人とぶつかってしまうのは避けられません。ですから混み合った駅や商業施設などに行くときは、できるだけ妻に自分の左側を歩いてもらって、その右肩につかまって歩いています。そうすると左側が見えなくても人にぶつかることはありません。
でもいつも妻に同行してもらえるわけではありません。一人で駅の雑踏を通り抜けたり、乗客で溢れたホームなどを歩くときは、人にぶつからないように、構内の柱にぶつからないように、またホームから左足を踏み外さないように、本当に神経を使って歩いています。神経が消耗します。
危ないのは人混みを歩くときだけではありません。家の近所を散歩する時には、特に交差点で左方向から来る自転車や自動車に、非常に気をつけて歩いています。
左側がよく見えないため、交差点で左右を確認する際、左側も見て車が来ないか確認したつもりになっていても、実は視野欠損しているエリアに車や自転車がいて危なかった、ということがあります。これは視線をずらしてキョロキョロしながら左側の道路全体を視野に入れて、きちんと何度も確認するしかありません。
もう一つ、視野欠損で困るのが、PC作業です。特にExcelです。ワークシートを表示している時に、左側がよく見えないため、例えばBS/PLなどの表の左端にある項目名(BS/PLであれば科目名)がよく見えません。だからこうした表を見るときは、見ているセルからカーソルを左方向に移動して項目名を確認しています。いちいちカーソルを動かさないとそのセルの意味が確認できないため、当然入力ミスも多くなります。
またExcelだけではなく、PCで文章を入力する時には(例えばこうしてブログ記事を書くとき)、自分が見ている単語の左側がよく見えません。だから入力ミスや編集ミスで誤字や脱字があっても、それに気づきにくい状況です。
こうしたことから、PC作業は以前に比べて非常に効率が悪くなっています。
さらに、本を読むときにも影響があります。読んでいるページの最後の方の数行(縦書きの場合)が視野に入らないため、「もうこのページは読み終わった」と思ってページをめくったときに、実は前のページの最後の行を飛ばしていたことに気づく、ということがよくあります。
同様に、新聞を読むときにも、段落の最後の数行を飛ばして次の段落に進んでしまうということが頻繁にあります。新聞は本よりも段落構成が複雑で、一つの段落が短く、段落が多いので、余計に読み飛ばしが多くなります。以前よりも新聞を読むのが大変になりました。
この視覚障害は、当初はExcelを使った独自のリハビリを開発するなどして回復に努めましたが、残念ながらリハビリでは期待したほどは回復せず、今でも左下四分の一は見えないままです。
歩くのも危ないくらいなので当然ではありますが、車や自転車は危険で運転できません。両方とも最初の闘病後に手放してしまいました。
帯状疱疹後神経痛
視覚障害以上に僕のQOLを低下させているのは、帯状疱疹後神経痛の痛み、というか激痛です。5年前の夏、2度目のがんである急性リンパ性白血病の化学療法中に、免疫力が低下したことで合併症として発症した帯状疱疹は、免疫力が低かったことから右の背中から右の脇の下に大きく広がり、その後皮膚症状が治った後も、後遺症として神経痛の激痛が残ってしまいました。
皮膚症状の写真を含めて帯状疱疹後神経痛の詳細は下記のブログ記事をご参照ください。
▼帯状疱疹とは?/写真で見る帯状疱疹の経過(画像閲覧注意)
帯状疱疹後神経痛の痛みは、基本的に24時間365日あります。痛みは波のように、強くなったり弱くなったりします。そして、普段はそれほど強くない痛みが、時折、耐え難い激痛になります。特に熱があるときや、疲れているときなどは、激痛になりやすく、その激痛が長く続きます。なお、痛みが弱いときはあっても、痛みがゼロになることはありません。常に右の背中と脇の下には痛みがあります。
痛みが激痛になったときは、痛み止めの医療用麻薬のオキノームを飲んで(2.5mgを1〜2包)しのぎます。
以前は、麻薬ということもあり、激痛が起きても少し我慢したり躊躇したりしていたのですが、最近は痛みを感じたら遠慮せずに早めに服用するようにしています。というのも、この薬は、痛みがある患者が服用している限りは、麻薬でありながら常習性はないのです。
▼医療用麻薬オキノームは痛みがある人には常習性はない
この、レスキュー(頓服)として痛みが強いときに飲んでいるオキノーム以外に、ベースで長時間に渡って痛みを抑えるためのオキシコドン(オキシコンチン)も朝晩1錠ずつ飲んでいます(5mg)
医療用麻薬というと、モルヒネなど、末期がんの痛みをコントロールするための薬、というイメージをお持ちの方もいるかもしれませんが、僕のようにがん治療後の日常の疼痛コントロールのためにも積極的に利用され始めています。
ちなみにこの帯状疱疹後神経痛の痛みは強烈で、脇の下に注射針を刺されて中をグリグリされるような激痛です。当然そんな痛みがあれば眠れませんので、寝る前には必ずオキノームを1〜2包飲んでいますし、日中も痛いときには飲んでいます。
つまり麻薬がないと生活できない状況です。
昨年、3度目のがんである急性骨髄性白血病になる前に、妻にこんなことを言ったことがあります。
「もし何か願いが一つ叶うなら、痛みのない生活がしたい」
結局そのあとに急性骨髄性白血病を発症してしまったため、痛みどころではなくなり、命の心配をしなければならなくなってしまいましたが、治療が一段落した今、また同じように痛みがその存在感を増しています。でもそれは命の心配をしなくてもよくなったということですので、前向きに捉えています。
脚・足のしびれ
2度目のがんである急性リンパ性白血病では、腫瘍がお尻の背骨(仙骨)から発生し、お尻の左側に大きく広がっていました。その腫瘍が、仙骨から左脚に伸びる神経の根本を圧迫して傷つけてしまったため、いまだに左脚全体、特に外側に広範にしびれがあります。
しびれがあるだけではなく、左足は指がうまく動かなくなってしまっています。
さらに、同じく急性リンパ性白血病の治療中に使った抗がん剤(オンコビンの副作用で、両足の裏に別のしびれが残っています。
こうした左脚全体、および両足の足裏のしびれのせいで、歩行時にふらつくという問題があります。ここには後述の脚力の低下も関係してきます。ちょっとした道路・歩道の起伏や段差があるとバランスを崩し、かつ筋力が弱く踏ん張りが効かないため、ふらついてしまいます。
視野欠損もふらつきに影響しています。つまり左下の道路や歩道の段差や起伏に気づかずに左足を運んでしまい、ふらつくということです。
こうしたいくつかの後遺症により、特に外出時は、いまだに歩行が大変です。
脚力・体力の低下
急性骨髄性白血病では、2017年2月に入院し、同年7月に退院したものの、10月までは再入院を繰り返していたため。ほぼ8ヶ月は病院のベッドの上で生活していました。入院中は脚力維持のためにリハビリをしていましたが、それでも脚力、体力は大幅に低下してしまいました。退院後は、家の床に座り込んだ状態から一人で立ち上がれないほど、脚力が弱っていました。階段の上り下りも、両手で手すりにつかまってやっと、というような状態です。
また基本的な体力や回復力も弱っているため、通院などで外出するなどして疲れると、翌日以降はダウンして寝込んでしまうようなこともありました。
それでも今では、家では床から立ち上がることも、階段の上り下りもなんとかできるようになりましたし、リハビリを兼ねて近所を一人で散歩することもできるようになりました。
病院などに一日がかりで行って帰ってきても、翌日寝込むようなことも少なくなり、基本的な体力や回復力も戻ってきているように感じています。
でも。まだ走る脚力はありません。どんなに急いで歩いていても、早歩きが精一杯で、まだ走ることはできません。走ろうとすると膝が折れてしまいます。だから、家族三人で急いで駅に向かっているときなどは、走っていく小学生の娘のあとを、必死で早歩きで追いかけているような状態です。
これは、リハビリとして日々の生活でできるだけ歩いて、脚力をつけていくしかありません。河川敷の道など、できるだけ危険の少ない道をウォーキングして、脚の筋肉を強化していきたいと思います。せめて、走ることができる程度には回復したいと思っています。
外から見えない、ブログでは見えない後遺症
このように、いまだにいろいろな後遺症による障害などが残っていて、それが僕の毎日の生活のQOLを大きく下げています。そしてこうした障害は、基本的に外からは見えません。駅で僕がぶつかってしまった相手は、僕がその人のことを見えていないとは全く思っていません。外見上は健常者と変わりませんから。
また最近は「元気そうだね」と言われることも多く、実際、退院直後に比べれば格段に元気になっているのですが、それでも、上記のようにいろいろな後遺症や障害が残ってしまっています。最近は当たり前になってしまっていて、ブログに書くこともなかったのですが…。
とはいえ、こうした後遺症や障害が残っていても、病院ではなく、自宅で、家族と一緒に、普通の生活が送れています。
それこそが、昨年のさい帯血移植治療の中で、死の淵を彷徨いながら望んでいたものです。40度を超える激しい高熱や、60台まで下がった急激な血圧低下の状況でも、家族三人の写真を見て、「何としてでも家族の待つ家に帰るんだ」、と強く願い、それは必ず叶うと信じていました。
「この辛い治療を乗り越えれば、家族の待つ家に帰れるんだ」、というのが、苦しい治療中の唯一にして最大の希望でした。この希望がなければ、あの辛い治療は乗り越えられませんでした。
だから、いろいろな後遺症や障害などはありますが、家族とともに平穏な生活が送れているだけで、僕は幸せです。