本来はこの旅行には昨年行くはずでした。二回のがんから卒業し、自分が創業した会社からも卒業して、ようやく本当の意味で家族と自分のために生きていけるようになったのが、昨年1月。
それまでの2度のがんで本当に辛い思いや寂しい思いをさせてしまった家族と、今度は楽しい思い出を作ろうと、夏休みの海外旅行を約束していました。
しかしその翌月の2月に突然、3度目のがんとなる急性骨髄性白血病が見つかり、その計画はキャンセルとなってしまいました。まさか3度目があるとは思いませんでした。しかも全てから自由になったこのタイミングで。大変なショック、大変な悔しさ、大変な悲しさでした。
その後、これまでで一番辛い治療となったさい帯血移植を経験しました。退院後、なかなか体力は回復しませんでしたが、それでも今年の目標のひとつに、海外旅行を挙げました。そのために、体力も気力も回復しようと努めてきました。
そしてついに先日、その目標を達成し、家族との約束を果たすことができました。
3人で南の島に行ってきました。
お陰さまで旅行中も特に体調に問題はなく、現地の病院のお世話になるようなこともありませんでした。
ただ相変わらず疲れやすいので、以前のように朝から晩まで予定を入れるようなことはせず、のんびり、休み休みのバカンスとなりました。
とはいえ、シュノーケリングで海に入って魚も見ましたし、ヨットでのセーリングで海風にも吹かれましたし、分厚いステーキも食べました。十二分に旅を満喫しました。
でも、何よりも楽しかったのは、妻と娘が本当にうれしそうに、楽しそうに、幸せそうに過ごしていたことです。
これまでの闘病で、何度も泣かせてしまった家族の幸せそうな姿を見ることができたのが、自分にとっては一番幸せなことでした。
移植をする前は、また移植をした後も、まさか移植の1年後(正確には1年3ヶ月後)に海外旅行に出られるまで回復するとは思いませんでした。
以前、「移植してから自由に外出できるようになるまでには3年かかった」という患者さんの言葉を聞いたことがあります。また「移植をすると以前の自分とは変わってしまいます」という話も聞きました。
実際、僕もいまだに以前のような体力はありません。だいぶ歩けるようになったとはいえ、いまだに走ることはできません。走ろうとしても脚の筋力がなく、膝が折れてしまいます。
歩けるとはいえ、左足全体の痺れ、両足裏のしびれから、段差や階段等でふらつくこともしばしばです。
視野左下4分の1の視覚障害も相変わらずです。旅行中も、空港や街中などを歩いているときに、人や障害物にぶつかってしまいました。
さらに、帰国後、やはり疲れが出たのか、39.6度の高熱と嘔吐、下痢の症状で、急遽、予約外で虎の門病院を受診することになってしまいました。検査の結果としては普通の風邪とのことで安心しました。しかしこれを書いている今も微熱が続いています。
でも。
元の自分ではなくても、普通に生活できています。
元の自分ではなくても、海外旅行に行くこともできます。
だから、元の自分に戻る必要なんてないんですよね。
焦る必要も、無理する必要もなく、ゆっくり生きていけばいい。
そして目の前にある幸せを見過ごさずに、ありがたく噛み締めていけばいい。
そんなことに改めて気づいた、いい旅行でした。