【前編】奇跡のディナー:2人の医師の命のリレー

今日のお話は、僕の命を救ってくれた2人の医師と、6年越しで開いた食事会のお話です。それは、いくつもの奇跡なくしては実現しない、僕の人生の記念碑のような夜になりました。
【この記事は前編です。後編はこちら
虎の門病院 谷口修一副院長と、東京女子医科大学 村垣善浩教授と、写真家の遠藤湖舟さんと。
(虎の門病院 谷口修一副院長(左から2人目)と、東京女子医科大学 村垣善浩教授(右から2人目)と、写真家の遠藤湖舟さん「左端)とともに)


それぞれに違う分野のがん治療で世界レベルの実績を持つ二人の先生。6年前にこの食事会の約束をしたときには、本当に自分のがんが治るのか、そして臨床に研究にお忙しい先生たち来てくれるのか、正直なところ半信半疑でした。
でも、ついに先日、実現できました。その実現までの経緯は、自分のことながら、奇跡のような話です。その奇跡のディナー、僕の人生において記念碑とも言えるディナーが、どういう経緯で開催されたのか。今日はその奇跡の連鎖について書きたいと思います。長くなりますが、お付き合いください。

僕の命を救ってくれた、2人の命の恩人

僕の命を救ってくれた2人の先生とは、虎の門病院 血液内科部長で、先日、副院長に就任された谷口修一先生と、東京女子医科大学の先端工学外科と脳神経外科の兼任教授の村垣善浩先生です。

虎の門病院の谷口修一先生

谷口先生には、2013年のB細胞性リンパ芽球性リンパ腫(悪性リンパ腫)/急性リンパ性白血病の化学療法と、2017年の急性骨髄性白血病さい帯血移植治療でお世話になりました。谷口先生の虎の門病院は、世界一のさい帯血移植治療実績を誇ります。谷口先生は、日本における白血病の造血幹細胞移植治療を引っ張ってきた先生です。
過去にはNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも登場され、最近では競泳の池江璃花子選手の白血病に関連して、テレビの情報番組に出演されていました。
▼第162回 谷口修一(2011年10月17日放送)| これまでの放送 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

東京女子医科大学の村垣善浩先生

村垣先生には、2011年の悪性脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術でお世話になりました。村垣先生はグリオーマ治療では日本一の治療実績を誇り、海外の学会や著名学術誌でも活躍されている、やはり世界レベルの先生です。
術中MRIの開発でグリオーマの治療成績(腫瘍摘出率、生存率)を飛躍的に高め、近年はIoTを活用したスマート治療室「ハイパーSCOT」を産官学連携で開発し、海外展開も視野に入れてグローバルに活躍をされています。
▼「スマート治療室」のスタンダードモデルが臨床研究開始—IoTを活用した手術室内医療機器の接続と手術室外連携を— | 国立研究開発法人日本医療研究開発機構

食事会のきっかけ(1):女子医大で脳腫瘍手術

2011年に、ヨーロッパ出張中に空港で倒れたことをきっかけに、1回目のがんである悪性脳腫瘍(グリオーマのグレード3)が見つかった僕は、幼なじみで大学病院の放射線腫瘍医をしているT君のアドバイスで、東京女子医科大学病院 脳神経外科で治療を受けることを決めました。
女子医大の村垣先生によると、手術前の画像診断では、僕の腫瘍の悪性度はグレード3か4で、手術後の病理検査で確定するとのこと。
当時、グリオーマのグレード3の5年生存率は、全国平均で25%、女子医大では78%と、3倍以上の開きがありました。ただ、悪性度がグレード4だった場合は、全国平均で6%、女子医大でも13%にとどまっていました。「自分は死ぬのかもしれない」と思いました。
手術前の説明の際に、手術の方針と後遺症のリスクを説明された僕は、「半身麻痺になってもいいから、とにかく娘が20歳になるまで、あと19年は生きられるようにしてください」と村垣先生にお願いしました。
村垣先生と丸山先生による脳腫瘍摘出手術は無事に成功しました。術後にICUで、まだ手術着姿の丸山先生から、腫瘍は全摘出されたこと、術中の迅速診断ではグレードは3だったことを教えてもらいました。これで生き延びることができる、と思いました。後遺症は、視野の左下4分の1が見えないという視覚障害だけですみました。
村垣先生たちのお陰で命がつながったのです。
退院後は、3ヶ月おきに女子医大に通院して、再発チェックのためにMRI検査と診察を受けていました。

食事会のきっかけ(2):悪性リンパ腫が見つかり不思議な縁で虎の門病院へ

2013年のある春の日、左足全体に、それまで経験したことのない強烈な痛みが走るようになりました。ちょうどその直後に女子医大での定期診察があったため、腰のMRIを撮ってもらいました。その時点では僕も村垣先生たちもヘルニア等を想定していましたが、MRI画像に写っていたのは、仙骨(背骨の一番下のお尻の骨)から臀部に広がる大きな腫瘍でした。
女子医大から国立がん研究センター中央病院への紹介状を書いてもらい、一泊二日の検査入院。2週間後にがんセンターに結果を聞きに行ったところ、「B細胞性リンパ芽球性リンパ腫」という悪性リンパ腫との診断でした。2回目のがんです。
さらに追い討ちをかけるように、「5年生存率は40%。急性リンパ性白血病と同じ病気で同じ治療をする。標準治療があるのでどこの病院で治療しても治療成績は大して変わらない」とも言われました。この言葉には激しいショックを受けました。どこで治療しても半分以上は死んでしまう病気ということです。
「とにかく、標準治療以上の治療をしてくれる病院を探さないと」と女子医大の先生たちや友人にも相談しながら、必死で病院を調べているとき、妻がネットで、前述の虎の門病院の谷口修一先生がNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」に出演したときのページを見つけてきてくれました。このページを読んで、心に響くものを感じました。特に、以下の部分です。

谷口のもとに来る患者は、重篤な患者がほとんど。教科書や文献を探しても、答えは書かれていない。最善の治療法を、自ら見い出さなければならない。まさに考え抜く「根性」が必要なのだ。

これを読んで、「谷口先生なら、標準治療以上の治療で、僕の病気を治してくれるかもしれない」と思ったのです。
このページを見た僕は、病院選びの相談をしていた女子医大の村垣先生に電話して、「虎の門病院で治療を受けようかと思います」と伝えました。
すると30分ほどして、村垣先生から電話がかかってきました。そして村垣先生は驚くべきことをおっしゃったのです。

「先ほどの電話の後に思い出したんですが、一年半ほど前、ある食事会で、虎の門病院の谷口先生とお会いして、ごあいさつし、名刺交換もしていました。だからいま谷口先生にメールして、高山さんのことをお願いしておきました」

翌日すぐに谷口先生から返事が来ました。ちょうどその次の日に、谷口先生は外来診察に出ているとのこと。もちろん僕は虎の門病院に行きました。
この奇跡的なご縁は、今思い出しても本当に不思議です。いまだに信じられない気持ちになります。神様の導きを感じます。

食事会のきっかけ(3):初めて会った虎の門病院 谷口先生の言葉

虎の門病院に行った僕は、内科の外来診察室で、谷口先生と初めてお会いしました。NHKのサイトの写真で見た印象そのままの、大きくて優しい、包容力に溢れた先生でした。
僕は、ひと通りこれまでの経緯や病状を説明した後、

「17年後の娘の20歳の誕生日を、娘と家内と僕の3人でおいしいお酒で乾杯してお祝いするのが、僕の人生の目標なんです。あと17年生きられるようにしてください」

とお願いしました。
すると谷口先生はこう言ってくれました。

「じゃあ、治しにいきましょう!」

この力強い言葉に、どれだけ勇気付けられたことか。
そして、村垣先生からお聞きした、村垣先生と谷口先生の食事会での出会いの話をしたら、

「じゃあ、病気が治ったら、その飯田橋のイタリアンレストランに3人で一緒に行きましょう」

とも言ってくれました。この言葉には、ものすごいインパクトがありました。先生が、病気が治った後の約束をしてくださったのですから。まさに治るという前提の約束です。「この先生ならきっと僕の病気を治してくれる」と心から感じました。
飯田橋ソリッソにて。レモンクリームのパスタ

食事会のきっかけ(4):虎の門病院に入院し悪性リンパ腫を治療

そしてこの診察から週末を挟んだ月曜日に、僕は悪性リンパ腫(急性リンパ性白血病の治療のため、虎の門病院の血液内科に入院しました。
このときは7ヶ月にわたって強い抗がん剤治療を受けました。副作用などで肉体的にも非常に苦しく、また精神的にも辛い日々でした。リスクは低いが再発が怖い化学療法のみで治癒を目指すか、治療関連死などのリスクもある造血幹細胞移植で根治を目指すかなど、治療方針にも非常に悩みました。少しずつ精神的にも追い込まれていきました。
それでも、最終的には化学療法のみで寛解して退院することができました。退院後も寛解を維持し、再発することはありませんでした。移植をせずに乗り切ることができたのです。

食事会のきっかけ(5)先生方の協力もあって闘病記を出版

それから3年後の2016年秋。脳腫瘍手術から5年、悪性リンパ腫(急性リンパ性白血病)の寛解から3年という、統計的にほぼ「治った」と見なせる期間が経過しました。生存率25%と生存率40%の二つの狭き門を奇跡的に通り抜けたのです。
そしてちょうどそのころに、僕は「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を幻冬舎から出版しました。
執筆に当たっては、村垣先生と谷口先生にもご協力いただき、お二人には本の中に実名で登場していただきました。さらに帯には推薦の言葉もいただきました。
出版後、そうした出版へのご協力に対するお礼のために、谷口先生を訪問しました。会議室や先生の研究室などでお話ししているときに、ふと思い出して、先生に聞いてみました。

「外来での初診のときに、僕の病気が治ったら、先生と村垣先生が出会ったイタリアンレストランに行こうと言ってくれましたよね。あの約束はまだ生きていますか?」

すると谷口先生は、

「ああ、あの飯田橋のレストランね。3人で行きましょう。でも医者は忙しいから、日程調整する高山さんは大変だと思うよ」

と言ってくれました。谷口先生が覚えていてくれたこと、そして3人で行こうと言ってくれたことが本当にうれしかったです。あの約束は、口約束でも社交辞令でもなかったのです。
その後、女子医大での村垣先生の定期診察の時に話したら、村垣先生も「ぜひ行きましょう!」と言ってくれました。
しかしその翌年、思いも掛けない事態が起こります。
後編へ続く

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