ちょっと時間が経ってしまいましたが、先日、娘が13歳の誕生日を迎えました。
僕の目標と娘の成長
僕の脳腫瘍が見つかったときにまだ1歳だった娘は中学2年生になりました。お陰さまで毎日、部活に勉強に本当に忙しくしています。
あの手術の直前に、僕は生きる目標を「娘の二十歳の誕生日を家族3人でおいしいお酒で乾杯してお祝いする」というものにしました(何度も何度も書いていますが)。
そして手術の方針を決めるとき、東京女子医科大学病院 脳神経外科の村垣先生にこの目標を伝えて、「半身不随になってもいいので、なんとしてもあと19年生きられるようにしてください」とお願いしました。
その結果、幸いなことに、手術は成功し、腫瘍はほぼ全摘出できて術後の障害は視覚障害のみでした。
「あと12年」とあと「7年」の大きな違い
そして、先日、娘が13歳になったことで、あの手術のときに先生にお願いした「あと19年」は「あと7年」にカウントダウンしています。
19年と7年の差は自分にとってはまさに桁違いに大きなものです。
あのときの19年先というのは、とてつもなく遠い未来にあるように感じました。「19年生きたいけれど、本当にそんなに生きられるのだろうか」と心のどこかで思っていました。
でも、今現在の7年先の未来は、まだ少し遠いけれど、もう少しで手が届きそうだと思えます。
僕にとってのこの12年
この12年、僕は脳腫瘍を皮切りに、悪性リンパ腫、白血病、大腸がんと、4つのがんを経験しました。
自分にとっては大変な12年でしたがそれは家族にとっても同じだったと思います。
家族にとってのこの12年
13歳になった娘にとっては12年というのは人生のほとんどです。つまり娘の人生のほとんどの時間、父親である僕はがんで長期の入院を繰り返していたわけです。
甘えたい時期に寂しい思いをさせてしまい、申し訳なく思っています。
でもその分、人の痛みが分かる人間に成長してくれていると信じています。
また妻に対しても、この12年、本当に大変な苦労をかけてしまったと思います。子供だけでなくもう一人、病院に面倒を見ないといけない家族がいるわけですので。
平日は仕事と娘の保育園の送り迎え、週末は娘をベビーカーに乗せて、僕の着替えやペットボトルの水などを大量にベビーカーにぶら下げて、電車で病院を往復。
僕が入院したり、退院したり、病院から自宅へ外泊したりするたびに、荷物を準備して付き添い。
自分の仕事を持ちながら、僕ら2人の世話をしていくのは容易ではなかったと思います。
だから、娘にも妻にも本当に感謝しています。
僕がいま生きてこうしてブログを書いていられるのは2人のお陰です。
これからの7年
娘が二十歳になるまでのこれから7年。
過去12年がそうであったように、今後も自分の体に何が起こるかは分かりません。
でも、常に体の声に耳を澄ませ、それぞれの医師としっかりコミュニケーションを取りながら、何かあったときには迅速かつ的確に判断し、対処していきたいと思います。
そうすれば7年後には、僕も元気な体でアルコールを解禁できるはずです。