脳腫瘍(グリオーマ)の再発が見つかり女子医大に入院しました。明日手術です

先日、舌がんの手術を受けたことをこのブログ書きましたが、実はその直後に脳腫瘍(グリオーマ)の再発が見つかり、昨日、東京女子医科大学病院に入院しました。明日、手術を受けます。

今回の手術は、生命のリスクや重篤な後遺症のリスクがある非常に難しい手術とのことです。でも14年前にも手術をしていただいた女子医大の脳神経外科の村垣先生と丸山先生を信じて、自分の命、人生を託す覚悟を固め、明日の手術に臨みます。

脳腫瘍(グリオーマ)再発の経緯

今回、脳腫瘍の再発が見つかったのは、舌がんの手術を終え、東京医大病院から退院した3月10日の午後でした。その日の午前に東京医大病院を退院となり、その足で病院前からタクシーに乗り、同日午後の女子医大病院での定期検査に向かいました。この脳の検査のために、東京医大の岡本先生にお願いして最速で退院させていただいたのです。

女子医大ではMRI検査を受けてから診察室へ。村垣先生は、いつもはMRI画像を見ながら「今回も問題ないですね」と言って診察は終わるのですが、今回はそうはなりませんでした。小脳に腫瘍らしき影が見つかったのです。そこから急激に物事が転回していきました。

診察の後、急遽、造影剤を使ったMRI検査を受け(診察前に受けたMRIは造影剤なし)、翌日にまた女子医大病院に来てメチオニンPET検査を受けました。

転移性脳腫瘍か再発か?

当初はMRI画像を見て、先生方は転移性脳腫瘍を疑いました。つまり、過去に経験した悪性リンパ腫、大腸がん、肺がん、舌がんのいずれかが脳に転移したことを疑ったのです。転移性脳腫瘍であれば、開頭手術をせずに放射線治療のガンマナイフである程度コントロールすることが可能とのことでした。

そのため、それぞれのがんが脳に転移する可能性がどれくらいあるのか、虎の門病院と東京医大病院の各科の先生とも連絡を取りました。

しかし、そうした先生たちの見解は一様に、「脳へ転移することは考えにくい」というものでした。そうした見解と、各種の検査結果とを合わせて、村垣先生のチームで検討してもらった結果、転移性脳腫瘍ではなく、14年前の脳腫瘍、つまりグリオーマの再発の可能性が高いということになりました。

前回は、後頭葉に腫瘍があり、それを切除した結果、後遺症として視野の左下の四分の一が見えなくなりました。

今回は、全く別の場所、小脳に再発しました。腫瘍は二つ見つかっています。

手術の3つのリスク

今回の腫瘍は、手術をするには非常に難しい場所にあり、 普通の病院では「手術できない」という判断になるだろうと、女子医大の先生からは言われています。手術をするうえでのリスクは大きく3つあります

手術のリスクの1つ目は、手術中の大量出血のリスクです。

腫瘍がある場所が太い血管に近く、手術中は血管を傷つけることによる大量出血の危険性があります。これは命に関わるリスクです。

手術のリスクの2つ目は、脳幹を傷つけて生命維持が困難になるリスクです。

今回の腫瘍は脳の奥の方の、脳幹に近い場所にあるため、術中に脳幹を傷つけてしまうリスクがあります。脳幹が損傷すると、生命維持に必要な機能が働かなくなり、呼吸停止、意識消失、麻痺などを起こす危険性があります。大量出血と同様、命に関わるリスクになります。

そして手術のリスクの3つ目は、術後の重篤な後遺症のリスクです。

腫瘍を切除することで、小脳が担っている機能が損なわれて、立ち上がることや歩行が困難になる可能性があります。これは平衡感覚を失うことによるです。車椅子や杖などが必要になる可能性があります。

また、手作業が困難になり、食事やパソコン操作などが困難になるかもしれません。さらに、しゃべるのが困難になる可能性もあります(構音障害)。

実際に僕の場合に、どの後遺症がどのくらいの程度で発現するのかは、手術が終わらないと分かりません。

リハビリで回復可能なレベルなのか、杖をつけば歩けるようになるのか、車椅子が必要になるのか、日常生活で食事や入浴などで介助が必要になるのか等も、手術を受けてみないと分かりません。

あと5年生きるための選択

村垣先生も丸山先生も、僕が14年前の最初の手術のときに先生に伝えた、「娘が二十歳になるまで絶対に生きる」という目標を今も十分に理解してくれています。

そして娘は、今回の再発が見つかった日の4日後に15歳になりました。二十歳になるまでは、あと5年です。

僕は、何としてでもあと5年生きることを最優先に、ベストな選択をする必要があります。

障害のない短い人生と、障害を負った長い人生

前述のように、手術は非常にリスクが高いです。でももう一つの治療の選択肢となるガンマナイフでは、リスクは少ないものの、再発した腫瘍の勢いを止めることは難しいようです。僕の今の状況だと、半年の余命が1年に延びるくらいが限界のようです。つまり、5年生きるのは難しいということです。

でも、手術を受ければ、生きられる時間が1年になり、それを越えれば2年になり、そして3年になるかもしれません。村垣先生からも、「まずは3年を目指そう」と言われています。その先に5年、そして娘の二十歳の誕生日が見えてくるはずです。

ガンマナイフではなく、手術をしてできる限り腫瘍を切除して、腫瘍の量を減らすことが、より長期の生存につながるということです。

そして実際にとった腫瘍の病理検査をして、そして遺伝子パネル検査もすることで、これが実際はどういった腫瘍なのかが判明し、最新の治療薬が使えるようになるかもしれません。その結果として、5年生きられるかもしれません。

娘が二十歳になるまであと5年、生きられるのか、どう生きるのか

今回の再発で手術を考えたとき、この5年をどう生きたいのかを自分に問いかけました。

たとえ短い期間であっても、重い障害がなく自由に動ける今の体のまま、家族とともに旅行などをして、いろいろな思い出を作って、人生を全うするのか。

あるいは、重い障害を背負ってでも、5年、そしてできればそれ以上、生きるのか。

実はこの夏休みに、娘と妻をグランドキャニオンに連れていく計画を立てていました。僕が人生の中で最も衝撃を受けたあの光景を、娘に見せたかったのです。地球の大きさ、雄大さ、神秘、人間のちっぽけさ、そういったものを娘にも直接感じてもらいたかったのです。これもあって、一時はガンマナイフでの治療に傾きました。

舌がんだった父の治療選択

一方で、僕が高校2年生のときに亡くなった父のことを考えました。父は舌がんのために長く入院して、手術や放射線治療などを受けていました。舌を大きく切除し、転移した顎の骨はプレートに置き換えられ、呼吸は喉に開けた穴からしていました。

あるとき、主治医から家族に話があるということで僕も母と一緒に主治医に会いました。

そこで僕達に告げられたのは、もう父には積極的な治療はなく、治る見込みはないということ。おそらく余命はあと数ヶ月。今後は積極的な治療をやめて、ホスピスなどに転院し、残された時間を安楽に生きられるよう緩和治療に移行するという選択肢もあるということでした。

でも僕達家族にとっては、父が死んでしまうということはとても受け入れられません。どうしても病気を治してもらわないといけないのです。

だから、「これからも積極的な治療を続けてください」、というのが、主治医に伝えた僕たち家族の創意でした。

そして父は、主治医が言っていた余命を生きた後、病院で息を引き取りました。

そのとき僕は、父が寝たきりでも、しゃべれなくても、とにかく生きていて欲しい、と強く思いました。父がこの世に存在していて欲しいと願いました。

僕も今回の手術を受ける選択を考えたとき、この父のときのことを思い出しました。

妻と娘にとっても、僕が重い障害を負ったとしても、生きていることに意味があるのではないかと考えました。そして旅行は一旦あきらめたとしても、まだ娘に自分の言葉で伝えられることはたくさんありますし、家でも病院でも、一緒の時間を過ごすことができます。

僕が今回の再発を知り、一番最初に思ったのは、家族と離れたくないということでした。家族三人でああだこうだ言いながらテレビドラマを見る時間。週末に外食をして、娘の部活の話を聞く時間。平日に妻の仕事が休みの日に二人でカフェカルディに行って、リッチブレンドを飲みながら娘の将来の話をする時間。

こうした家族の時間が自分から失われてしまうことに恐怖を覚えました。家族から一人だけ離れたくないと思いました。

執刀医の丸山先生の腕に託す

今回も、14年前と同様、女子医大の村垣善浩先生と、丸山隆志先生に手術していただきます。

「女子医大の」と書きましたが、今はお二人とも非常勤です。村垣先生は女子医大での役職は客員教授となり、神戸大学のセンター長・教授との兼任になっています。丸山先生も複数の病院の脳神経外科との兼任です。

執刀医の丸山先生は、以下のように話してくれました。

「今回の手術はあまりにもリスクが高いので、私も普通の患者さんであれば手術は勧めません。

でも、高山さんには、命に対する、生きるということに対する覚悟があります。娘さんの二十歳の誕生日まで生きるためにはどんなリスクでも引き受けるという覚悟を、本の出版などの情報発信を通じて感じています。だから、チャレンジングな手術であることは間違いないけれど、でも腫瘍を取りに行くんだということであれば、自分は取りに行くし、取れると思っています」

この丸山先生の力強い言葉を聞いて、手術を、受ける気持ちが固まりました。手術で命を落とすかもしれないし、想像以上の後遺症が残るかもしれない。でも5年生きるためにそれがベストで唯一の選択ならば、その道を進むしかない。

幼馴なじみのT君の助け

この意思決定の過程では、村垣先生のチームの先生たちだけでなく、幼稚園からの幼なじみで、現在は某大学病院の放射線腫瘍科の准教授を務めるT君も、本当に親身になって相談に乗ってくれました。

PET画像を見て、転移や再発の可能性がどれくらいあるのか、手術とガンマナイフで治せる可能性、もっと言うと延命効果はどれくらい期待できるのかなど、女子医大の先生たちの意見も踏まえつつ説明しててくれ、アドバイスしてくれました。

治療が難しい状況からだからこそ、これまで以上に、T君の親身なアドバイスには、僕も妻も本当に救われました。

手術を前に、いま、怖いこと

手術は明日です。手術室に入って全身麻酔をかけられると、すぐに意識を失います。

その後、目を開けたときに何が見えるのか。生きて、手術室の天井の無影灯を見上げているのか。

それとも魂となって手術室の天井近くから、自分の肉体を見下ろしているのか。

それを知るのが、今は怖いです。

明日中には、どちらか結果が出ているかと思います。

無影灯を見上げている未来を信じて、手術室に向かいます。

心の中で応援してくださったらうれしいです。

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